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しんどい時

人間誰しもしんどい時は訪れる。
小さなことでも大きなことでもその人にとって嫌だなって感じる時は生きてるうちにあるものだ。
今が幸せか?と聞かれて、はい幸せですと機械的に反射的に答えてしまう時もあれば、幸せの絶好調のように嬉々として返事をしてしまう時もある。
人にどう思われたいかと言えば、好かれたいのに人間関係の構築が下手すぎて上手く付き合えない。
そんな悩みを抱えている人はこの世に溢れかえっているだろう。
わたしもその中の一人でもある。

なぜこんなにも人間関係が下手くそなのかと言えば、家庭環境のせい…が一番大きいかもしれない。両親は再婚して、わたしは所謂血の繋がりのない娘であり孫という存在で父方の祖父母にはそういう見られ方をされていたのを後になって知った。
とくに祖母は感情的で怒りやすく、正義感の強い母とはそりがあわず喧嘩をしょっちゅうしていた。
父親は怒る時に怒鳴ることが多く、食事のときに何かを言われるたびに喉にひっかかったような感覚になることが多く憂鬱も感じていた。
そんな中、他人の気配に敏感であることや親にまで気を遣う生活をしていたらそのまま大人になってもそうなってしまって人より周りの目を気にするようになってしまったのだ。
だけど、わたしはいつも笑顔でいようと心がけていたので人に感情を悟られる機会があまりなかったし実際悩みがなさそうでいいよね、なんてちょっと傷つくこともよくあった。悩みがないわけではなくて誰かに迷惑をかけたくなくてひた隠しにしていたのが笑顔という装備だけだったの話なのだ。
傷つきやすい脆い人間なので、より一層臆病に壁をつくることになった。
誰とでも仲良く話すことはできるし、二人で遊びにいくこともできるけどやっぱりどこか気を使いすぎてしまう自分がいてあんなに楽しかったのに帰ると疲れがどっときてベッドに伏せてしまう。
これは最早自分の癖のようになってしまっていることにショックを受けた。楽しいはずなのに疲れてる自分が嫌だった。
音にも匂いにも光にも敏感すぎて生きてくうえで気にすることが多く生きづらいとは感じるが、それと向き合って付き合っていくしかないし、辛い時はたすけてってすぐにSOSを出せる人間になりたいと思う。我慢して崩れるよりも、誰かに頼るということを覚えるべきなのだ。

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