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修学旅行を無駄だと思う人ってなんだろうか....

今日の朝、あるニュースが目に入った。

これを簡単にまとめると
・修学旅行の費用が高い。
・教員の見回りの負担が大きい
・多様性に合わせた行動を
といった内容だ。

1番上にあるような金銭的に厳しいご家庭があってその上での感想と教員の大変さは理解はできる。
しかし、これを「費用に見合うだけの学習効果はあるのか」と言っている人はなんなのか?ってなる。

そもそも学習効果があるのかという言葉に対して私はあると思ってる。

例えば、奈良の大仏の大きさやその場の空気って机の上にある教科書の写真で分かるのかということ。もしかしたら教科書にはスカイツリーは634mみたいに大仏の大きさが数字で表しているかもしれないけど、そんなの想像できる?

できてもわかったフリだけ。

実際にみた大仏は自分たちよりも遥かに大きいし、写真では見れない細かな質感や空気の違いましてやその場所の匂いなんて現地でしか感じることの出来ない学びがたくさんあるし、学校の授業とは違ってリラックスした状態で楽しみながら行うから机の上の勉強よりも記憶の定着が早いと感じる。

と昔から勉強が大の苦手だった私の感覚ではあるが、あながち間違ってはいないと思う。

また、修学旅行って家庭環境や趣味嗜好によってまばらになるであろう経験が出来る場合もある。

これは自分の例だが、普段遊園地しか旅行で行かない私が北海道の修学旅行でラフティングを経験をするのは中々新鮮なものだった。

ラフティングって激しい川をパドルを持ってくだるのだが、これは大人数じゃないと出来ないし、今まで家族旅行でもこんな激しい川の流れの中を突き進むスリルは今までの経験には無かった。

そして何よりこの感動は今になっても忘れない思い出にもなった。

そういった普段やらないような経験をさせてくれる修学旅行って新しい自分を知るきっかけにもなるしなにより趣味が増えたといっても過言では無いような学びが得られるのではないだろうか。

だから「ただ旅行に行って帰ってくるだけで何の学びがあるんだ」と考えてる頭のお堅い方には遊びこそ大きな学びに繋がるのではないかと言いたい。

と長々と「学習に効果あるのか」というトピックについて感想を書いてきたが、多様性の面では1部変更しなきゃいけない所があると思う。

それがお風呂問題だ。
なぜよりによって修学旅行の先は大浴場があるのか。これに対しては前から凄く疑問に思ってた。
高校の頃は部屋にお風呂があったから凄くよかったが、小・中学校ってなぜ大浴場があるんだって思う。

小・中学生なんて思春期真っ最中の時期やから他人のおティンの成長具合に興味津々orからかう人なんていくらでもおる。

そんな事でトラウマになった人はいくらでもいると思うから大浴場はやめた方がいいかもしれない。

ちなみに、ニュースの引用として
「将来的には誰もが同じような観光地やテーマパークに集団で行く形ではなく、このグループはこっち、このグループはあっちに行くという選択式になっていくべきだと思う。大事なのは、いろんな体験と機会を作ってあげることだ」

ということがあるが、私が小学生の頃にはすでに各グループが行き先を決めて計画をし、行動、評価、報告といった流れはやっていた。そういった面は10年前から解決している。
また、これに対しPDCAサイクルを学ぶ事が出来ているのではないかと思うが、デメリットとしては生徒全員の安全確保をするのが難しいのが現状だ。

だから生徒一人一人がちゃんと行動が出来れば問題は無いが絶対事件は1回は起こるからそこはよく考えなければならない。

といった感じに私は金銭的に問題が無ければ積極的に子供には参加させてあげたいし、「費用以上の学習効果」を求めてる大人も昔ははっちゃけてたし、今でも何やったか覚えてるやろ?と思う。

さて、私も安心出来るように稼がないとな。
(その前に就活しなきゃ...)