「The El Records Story」書き起こし Part 1/4
The El Records Story - Part 1 - Mike Alway - Interview by Iain McNay
スヌーピーズでの出会い
イアン:こんにちは、イアン・マクネイです。Cherry Red TVへようこそ。今日はエル・レコーズについてお話ししましょう。エル・レコーズは、ヒット・レコードを出したことのないレーベルの一つですが、世界中で出会う本物のレコード・コレクターは、エル・レコーズのことを知っている人がたくさんいます。神秘的な存在なんです。今日は、エル・レコーズの創始者であり、教祖ともいうべきマイク・オールウェイさんにスタジオに来ていただいて、とても幸運に思っています。マイク・オールウェイさんです。こんにちは、マイク。
マイク:ええ。
イアン:マイクと私には本当にいろいろな歴史があるのですが、この番組の焦点はまさにエル・レコーズですから、その詳細をすべて説明するつもりはありません。しかし、私たちが最初に会ったのは、おそらく1978年頃、あなたがサウス・ロンドンのシザー・フィッツ(Scissor Fits)というバンドをマネージメントしていたときです。覚えていますか?
マイク:はい。地元のグループです。当時私はハウンズローに住んでいて、パートタイムでやっていたんです。シザー・フィッツもそうだったし、その後すぐにソフト・ボーイズにも関わるようになりました。ソフト・ボーイズの活動を通して、より多くの人脈ができたので、同時にシザー・フィッツを始めるための手段としてソフト・ボーイズも利用するようになりました。我々はリッチモンドのクラブを通じて知り合ったと思います。
イアン:そう、あなたはスヌーピーズ(Snoopy's)というクラブを経営していましたね。シザー・フィッツをチェリー・レッドと契約させようと、よく電話をかけてきていたのを覚えてます。あなたはよく、「彼らは本当に新しいビートだ」と言っていましたね。とても熱心でした。
マイク:そうですね、この距離だとちょっとナンセンスに聞こえますが、あのクラブを運営していたのは私たちだと思いますね。それは、時代を反映したものでした。1978年、ポストパンクの直後です。リッチモンドにはたくさんのグループがひしめいていました。
イアン:サウス・ロンドンのリッチモンドですね。
マイク:リッチモンドとトゥイッケナムのエリア、それにシェーンとバーンズの一部などなどの地域は、バンドでいっぱいでした。週に2バンド、週に2晩だったのが、週に5晩、1晩に3バンドが出演するようになったんです。実にあっという間でした。
イアン:主に未契約のバンドですね。
マイク:主に未契約のバンドです。しかしその後、さらに拡大し、全国的なヘッドライナーを招聘するようになったんです。ピラニアズ(The Piranhas)が演奏したり、地元のグループをサポートに使ったり、いろいろなことをしました。本当にシーンになったんです。
チェリー・レッド
イアン:その後、チェリーレッドに入社して、A&Rとプレスの仕事をするようになりましたね。まあ、ずっとというわけではありませんが、私たちの発展において非常に重要な時期の3、4年間はそうでした。その時期を簡単に説明すると、あなたが最初に契約したのはアイレス・イン・ギャザでしたね。モノクローム・セットとも契約しました。もちろん、トレーシー・ソーンを擁するマリン・ガールズも。ベン・ワット、彼は後にトレーシーと組んでエヴリシング・バット・ザ・ガールを結成します。ケヴィン・コイン、ファンタスティック・サムシング、ザ・ナイチンゲールズ……。
マイク:ザ・パッセージも。
イアン:クエンティン・クリスプ。これはとても珍しいですね。
マイク:その通りです。レーベルを作るための真っ白なキャンバスとして、当時の私の興味の幅を広げてくれる素晴らしい機会でした。結局、あなたはデッド・ケネディーズで成功を収め、それ以外のものはすべて手に入れることができましたね。そして、そのチャンスに私は恵まれたし、今も恵まれています。でもあの頃は、何事にもものすごい熱意を持って取り組んでいましたね。急成長しているインディペンデント・シーンを知り、私はそのすべてをチェリー・レッドに持ち込みたかったんです。そして、ラフ・トレードやファクトリー、その他の人たちを見ていて思ったのは、自分たちもそれと同じかそれ以上の存在になりたいということでした。その人たちの真似をしたくはなかった。自分たちのスタイルとアイデンティティを持ちたかったんです。その点では成功したと思います。チェリーレッドの強みはその多様性だと常々思っていて、そこに挙げた名前だけでなく、あなたが投げかけた名前も、すべて異なっています。いろいろな音楽がある。でも、一歩下がって見てみると、一つの作品なんですよね。本当に。
『Pillows and Prayers』
イアン:まったくその通りです。一つの作品であって、それぞれ書き方は違えど、それらがなぜかフィットしている。そのハイライトが、『Pillows and Prayers』だったと思います。
マイク:まったくその通りです。『Pillows and Prayers』は、まさに「一つの作品」のコンセプトを凝縮したような作品です。私たちはちょうど、それをするのに適切なタイミングだったのだと思います。2年半でこれだけ進歩した。そして、チェリー・レッドを定義する何かが必要だと感じていたんです。そして、どうにかこうにか、それを実行するタイミングが来たんですね。そして、それが証明された。何年も経ってからでは、もしかしたらうまくいかなかったかもしれないですね。ただ、そのコンセプトは、私たちの売り出し方にありました。
イアン:私たちは、99ペンスの価格で販売しました。1ポンド弱で、当時は19曲入りのアルバムとしてはとても安かったんです。そして、初年度に12万枚を売り上げ、たしか17週間インディペンデント・チャートで1位を獲得し、あらゆるところで5つ星のレビューを獲得しました。
マイク:そして些細な点ですが、過去のカタログや、フェルトのファーストアルバムのような注目されていなかったアルバムを再活性化することができました。そのようなレコードに再び人々の目を向けさせたのです。
ブランコ・イ・ネグロ
イアン:『Pillows and Prayers』の後、あなたは一念発起してチェリー・レッドを離れ、ラフ・トレードのジェフ・トラヴィスとブランコ・イ・ネグロを結成しました。ジェフとの共同作業やワーナー・ブラザーズの支援という点で、その初期段階がどのようなものだったのか、簡単に説明してください。チェリー・レッドとは明らかに違いますよね。
マイク:チェリー・レッドとはまったく違いますね。当時、私はとても若かったので、協力者についてある種の思い込みをしていて、それが間違っていたんです。だからといって、ジェフを嫌いになったとか、そういうことではありません。ただ、私が学んだこと、私にとっての教訓は、ビジネスにおけるチームワークのバランスについてです。要するに単純化すると、ジェフやブランコ・イ・ネグロの他の人たちと仕事をする中で、私のような人間が多すぎるということがわかったんです。つまりクリエイティブな人たちが多すぎる。もっとバックボーンが必要だったんです。バランスが完全に間違っていました。一番不思議なのは、そのことが始まってすぐにすぐにわかったことですが、その時には私は列車に乗っていました。そしてその列車は移動中だった。降りられない特急でした。でも、私はとてもとても早く降りたんです。というか、そんなことを複合的に考えていたわけではまったくないのですが。ただ言っておかなければいけないのは、それは魅力的だったということ、ブランコでの転機がなければ、エル・レコーズは存在しなかったと言えることです。
イアン:そうですね、ブランコはチェリー・レッドからあなただけではなく、エヴリシング・バット・ザ・ガール、モノクローム・セット、ファンタスティック・サムシングなどを奪いました。それから、他のバンドと契約したわけですね。エヴリシング・バット・ザ・ガールのチャートでの成功は確かなもので、とてもよく売れました。
マイク:そうですね。この歴史を振り返ってみると、私はレコードがリリースされる前にブランコ・イ・ネグロから姿を消していました。私の関わりは、実に短いものでした。チェリー・レッドがビルを1階分増築しているところを見たかったですね。ブランコには、エヴリシング・バット・ザ・ガールのチャートで成功したアルバムまでいたと思うのですが。
イアン:最初のアルバムがチャートインして、シングル「Each and Every One」もチャートインしましたね。
マイク:そうです。そして、私たちは進化の途中でした。モノクローム・セットのアルバムとサドゥン・スウェイもやりましたね。実はサドゥン・スウェイはチェリー・レッドとは契約していませんでしたが、確かに契約したかったし、契約していたかもしれませんね。それでついに、ワーナー・ブラザーズからこの異常なボックス・セットを出すことになりました。どうやって承認を得たのか、想像もつきません。正直なところ、どうやってロブ・ディッキンズを説得したのかも覚えていません。でも、彼は結局、本やゲームなどの小物やがらくたが詰まった12インチ4枚組のボックスセットを発売しました。それはサドゥン・スウェイのスタイルである、大きなコンセプチュアルなものでしたね。そしてそれは、ブランコのイメージも構築していたのです。特定のイメージを持っていました。もちろん、そのスタイルはチェリー・レッドとの連続性を持っていました。そしてワーナー・ブラザーズとの仕事は、チェリー・レッドとの仕事とはまったく違う経験でした。
イアン:カルチャーショックですね。
マイク:そう、本当にそうです。私はチェリー・レッドのような、総力を挙げてポンプを回すようなアプローチで、すべてを楽しんでいました。それが私には合っていたんです。それをワーナーのやり方の中で、違うアティチュードと交換しなければならないとは、片時も想像していませんでした。ただ、何でもやることを期待されるのだろうとは思っていました。そうでしょう。しかし、突然、すべてをこなす人が現れ、私はできなくなってしまった。驚きましたよ。
イアン:ともあれ、エルのことを教えてください。どうしてエルができると思ったのですか。明らかに、エルはワーナー・ブラザーズの支援を受けたブランコの分派として始まったと思うのですが。
マイク:その通りです。
イアン:エルがどのように生まれたか、あなたの思考過程を教えてください。
[翻訳:sosaidkay]
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