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マイク・オールウェイの「イフ(If...)」について

マイク・オールウェイがエルをやめた後、90年代半ばから2000年代前半までやっていたイフ・レコーズ(If... Records)の活動について調べてみました。イフについては、コンピのシリーズ『Songs for the Jet Set』で認識している人が多いのではないかと思います。古巣エルの関連アーティストに新人を加えた、マイク・オールウェイの新レーベル、ないしプロジェクトだと。ところが内実はもう少し複雑でした。


マイク・オールウェイの発言から

「The El Records Story」書き起こし Part 4/4では、マイク・オールウェイ本人が以下のように話していました。

マイク:(……)そして、帰ってくるようにとの呼びかけを感じたんです。というのも、日本人が私に単独でアプローチしてきて、「エルとやっていた素晴らしいレコードのように、レコードをプロデュースしないんですか?」と言ってきたんです。私は、「誰も私に求めてこないんだけどね」と答えました。ここではそれをする文脈がないので、基本的には日本から融資を受けてやるようになったんです。それで、イフ・レコーズを結成するお披露目的なコンピレーション、『Songs for the Jet Set』ができました。その時代の『Pillows and Prayers』ですね。そのレーベルがどういうものかを示すためにあったんです。アメリカとスペインのレーベルを使いましたが、私が個人で独立してやりました。

イアン:アメリカ、スペイン、日本を含んでいましたね。

マイク:ええ、そうです。多くの人が関心を寄せてくれました。素晴らしい報道に恵まれ、たくさん売れました。でもイギリスの組織に接続されていなかったので、チェリー・レッドやエルでは楽しむことができた継続性は、維持できませんでした。どのレコードも資金繰りとの戦いでした。どちらかといえば、私は独立系の映画製作者みたいなものでした。どのレコードも、一からやりなおすようなものでしたね。作品ができると、日本から少しお金をもらって、タイやフィリピンからも少しお金をもらって、ブラジルからも少し、という感じでした。すべてが何カ月もかかるので、自発性も失われてしまう。非常に大変なことでした。

イアン:それで、イフ・レコーズからは何枚レコードを出したんですか。

マイク:アルバムが6枚です。そして結局、終わりを迎えました。それで今に至ります。エルでやったような水準に合わせることができなかったから、やめる必要があると思ったのです。それに、純粋に実利的なレベルで整える必要があることがわかったし、維持するのに苦労したということです。

発言の要点は以下のように受け取れます。

  • 『Songs for the Jet Set』はレーベルのお披露目的なコンピレーションで、日本から融資を受けて始めた。

  • 日本、アメリカ、スペインのレーベルを使ったが、基本的にはマイク個人のプロジェクト。

  • イギリスの組織に属さず、作品ごとに資金繰りに苦労した。

  • リリースはアルバム6枚のみ。

しかし調べるとそれぞれ微妙に印象が異なってきました。

リリースは「6枚」?

マイクが言っている6枚とは、「if... 001」のようにレーベルの型番が振られた以下の6タイトルを指すと思われます。また連番はないものの、2000年に『Songs for the Jet Set』コンピの3号が出ていて、ジャケット裏にもイフのロゴマークが入っているので、番外としてあげておきました。これで都合7枚あります。

001:Apples in Stereo『Fun Trick Noisemaker』(Trattoria, menu.86/Polystar, PSCR-5484/1996-05-25)
002:Rocketship『A Certain Smile, A Certain Sadness』(Trattoria, menu.112/Polystar, PSCR-5578/1996-02-26)
003:Marbles『Pyramid Landing And Other Favorites』(Trattoria, menu.125/Polystar, PSCR-5598/1997-04-25)
004:Various『Songs For The Jet Set』(Trattoria, menu.126/Polystar, PSCR-5612/1997-12-21)
005:Turn On『Turn On』(Trattoria, menu.152/Polystar, PSCR-5663/1997-12-21)
006:Various『Songs For The Jet Set Volume 2』(Bad News Records, BN-125/1999-XX-XX)
番外:Various『Songs For The Jet Set 2000 Volume 3』(Bad News Records, BN-130/2000-04-25)

丸括弧内に示したのは日本盤の型番と発売日です。最初の5枚はトラットリアから出て、その後コンピの2と3はバッドニュースという会社から出ています。

ここで不思議なのは、コンピ以外の4枚は単独アーティストの作品で、いずれもオリジナル盤が米英の別のインディーレーベルからリリースされているものばかりなことです。001は米スピンアート・レコーズ、002は米スランバーランド・レコーズ、003は米エレファント・シックス/スピンアート・レコーズ、005は英デュオフォニック・スーパー45s。

『Songs For The Jet Set』の3枚のコンピは米国ではジェットセット・レコーズ、スペインではシエスタというレーベルから出ていて、3枚とも確かにエルの面影とマイク・オールウェイの個性が濃厚に感じられますが、ほかの4枚は、音楽もアートワークも特にエルやマイクのカラーを感じさせるものではありません。

というか自分は、アップルズ・イン・ステレオ、ロケットシップ、マーブルズ、ターン・オンというこの4枚は、当時いずれもオリジナルの輸入盤LPで買って愛聴してはいましたが、イフとの関連を意識したことはありませんでした。

イフはトラットリア傘下のプロジェクト?

if... 001こと、アップルズ・イン・ステレオのCDの帯を見ると興味深いことがわかります。

if… 001:Apples in Stereo『Fun Trick Noisemaker』

マイク・オールウェイ/小山田圭吾によるニュー・プロジェクト、レーベル名はIf...(イフ...)。二人のコラボレーションはすでにエキゾチカ・レーベルで8枚のCDを送り出したが、さらにその体制を強化すべく、この度ヴァージョン・アップを計り〔ママ〕より良き作品にて皆様のハートにログ・イン。新レーベルよろしく日英の奇人が互いの頭上のリンゴに矢を放ち射止めたアップルズ・イン・ステレオ。
 都内輸入盤店、大型店のベストセラー、“ファン・トリック・ノイズメーカー”ボーマス〔ママ〕トラック2曲を加え遂に日本盤登場。レーベル号に恥じないエクセレントなファン・トリック冒険ポップ!

イフは少なくともスタート当初は、マイク・オールウェイと小山田圭吾によるニュー・プロジェクトとうたわれていた、と。マイクの「日本から融資を受けて始めた」という発言とも整合性があります。それと2人のコラボレーションは「すでにエキゾチカ・レーベルで8枚」ともあります。これは『ファブ・ギアII』(Trattoria menu.3/Polystar, PSCR-1053/1992-06-01)などでのコラボを指すものと思われます。

同CDの伊藤英嗣によるライナーノーツには、よりはっきりと、以下のように書かれています。

本国アメリカではスピンアートから発売され、昨年度の僕の愛聴盤トップ10に食い込んだ(笑)このアルバムの国内盤は、トラットリア傘下のニュー・プロジェクト、if...のファースト・リリースとなる。if...とは、かのマイク・オールウェイが小山田圭吾と共に展開する新レーベルだ。及ばずながら、ぼく自身も協力させてもらっている。

この「(笑)」の使い方、伊藤さんだぁ……と懐かしくなってしまいましたが、まあそれはともかく、イフとは日本のポリスターで小山田が展開していたトラットリアの、さらに傘下のプロジェクトなのだと。またさきほどの帯にもあったように、第一弾リリースのアップルズ・イン・ステレオは、すでに輸入盤としては話題になっていたレコードの日本盤であるということです。

当初は小山田色もあった?

if... 002はロケットシップの1stです。

002:Rocketship『A Certain Smile, A Certain Sadness』

シューゲイザー的な感覚もあるためかいまだに名盤の誉れ高い一枚ですし、前述のとおり自分も輸入盤LPで買って愛聴してました。日本盤ライナー執筆者は、Citrus江森丈晃、POPSY ROCK矢田知生、伊藤英嗣、薄田育宏の4名。伊藤さんの原稿にはこうあります。

ご存じのようにif...は小山田圭吾とマイクによるレーベル(もちろん僕もお手伝いしてますが)。今回のリリースに関しては、最初小山田から提案された。当然マイクも大賛成。うん、いい関係だよね。そして近々、第三弾としてマイクが全力をかけた驚愕のコンピレーションと、彼が見つけた面白バンド、ベイビー・バーキンのアルバムがついにベールを脱ぐ。それを楽しみに、この素晴らしいアルバムを愛聴してくださいね。

イフは決してオールウェイのビジョンを実現するレーベルではなく、小山田/トラットリアとのそれなりに対等な協力関係からできていたことを思わせる少々意外な証言です。そしてベイビー・バーキンなるバンドをイフからリリースする話もあったとは。その後のカタログを見る限りこのリリースは頓挫したようですが、彼らは97~98年にダメージド・グッズとディッシー・レコーディングスからシングルやアルバムをリリースしています。

if... 003はコンピではなく、マーブルズのアルバムが繰り上げで発売になりました。001のアップルズ・イン・ステレオのリーダー、ロバート・シュナイダーの別プロジェクトで、ブックレットはロバートのセルフライナーノーツとその翻訳が載っているだけでした。

if… 003:Marbles『Pyramid Landing And Other Favorites』

1995年から構想があった?

if... 004は、いよいよ『Songs for the Jet Set』の登場です。

if… 004:Various『Songs For The Jet Set』

帯には、以下のようにあります。

「ムー」⇒「ムー一族」=「el」⇒「if...」
伊達、洒落、浪漫、退廃。混沌とした欧州の、時代感覚の水際の、濯ぎ水の上澄みを掬った音のエッセンス。
『ロンドン・パヴィリオン』いま、ふたたび。

『ロンドン・パヴィリオン』とはエルの名物コンピレーションシリーズですね。イフとはあくまで「マイクとエルの夢よもう一度」という文脈のもとに日本に紹介されていたことがよくわかります。そして後知恵的には、『ムー』に対する『ムー一族』になぞらえているのが、久世光彦の失脚を予感させるようで不吉でもあります。

またライナーでは、伊藤氏がさらに以下のように書いています。

 思えば95年の夏に話を始めて以来、IF...の実質的な出発点となる最重要作として、マイクが心血を注ぎ込んできたアルバムだ。多い時はほとんど毎日彼とファックスのやりとりをしている自分にとって、最早客観的には見られないアルバムだが、これだけははっきり言っておこう。
 大傑作。
April 1997  HIDETSUGU ITO/伊藤英嗣

「Jet Set」コンピ及びイフの構想は1995年の夏にさかのぼり、伊藤氏はそのころから「話を始めて」いたとあります。フリーランスのA&Rとして、このプロジェクトの日本側のスタッフとして初期から関わっていたということなのでしょう。

1995年の夏に何があったのでしょうか? マイク・オールウェイは、チェリー・レッド傘下でやっていたリッチモンド・レコーズから、『Dream Topping - Él Retrospective... Introduction To If...』(monde 21cd)というコンピレーションを出しています。

Various『Dream Topping - Él Retrospective... Introduction To If...』

リッチモンドは、主にエル・レコーズ時代の音源の再発をやっていたレーベルで、このコンピも中心はエルの既発音源です。一方で興味深いことにサブタイトルで「イフへのイントロダクション」をうたっていて(イフのロゴマークや型番などはまだなし)、アメリカのジ・アップルズ(アップルズ・イン・ステレオ)やマーブルズの曲が含まれているほか、モーマスの当時のニュープロジェクト、ミルキーの音源なんかも入っています。

マイクが自前の音源と、他レーベルの気に入った曲をライセンスで混ぜ合わせる作り方は『Songs for the Jet Set』のプロトタイプみたいなところがありますし、のちにイフのラインアップとしてアップルズやマーブルズの日本盤をリリースしたことにも整合性がありますね。ちなみに小山田さんも、アップルズを知った最初はこのコンピだと言っていたらしいです(ばるぼらさん談)。

イフとは結局なんだったのか?

イフの連番付きタイトルを順を追ってみてきたので残りも簡単に。

if… 005:Turn On『Turn On』

005ことターン・オンは、ステレオラブのティム・ゲインとハイ・ラマズのショーン・オハーガンの即席ユニット。ライナーは伊藤英嗣の司会による嶺川貴子と中原昌也の対談で、中原さんが「俺にも作れるぞ」とかとにかく酷いことを言っています(笑)。97年のトラットリアってこういう感じだったな……と、当時を知る人なら誰もが思う悪ノリな感じ。個人的にはこのレコード、ジャケットもかっこいいし、やはり当時かなり愛聴していたのですが。

if… 006:Various『Songs For The Jet Set Volume 2』

最後の006、『Songs for the Jet Set Volume 2』は、トラットリアではなくバッドニュースという会社からのリリース。ライナーにも伊藤英嗣さんはいなくて、加藤紀子(!)、田中知之、仲真史というメンツの短いコメントがあるだけです。同じくバッドニュースから出た『Songs for the Jet Set 2000 Volume 3』は、マイク・オールウェイのコメントと翻訳が載っています。

Various『Songs For The Jet Set 2000 Volume 3』

ここまでを整理すると、イフというのはだいたい以下のような経緯と性格を持つプロジェクトだったのかなと推察されます。

  • イフは、基本的には日本のポリスター内のレーベルであるトラットリアのさらに傘下に、マイク・オールウェイ用のラインとして始まったレーベルだった。

  • 構想自体は1995年の夏からあり、お披露目コンピ『Songs for the Jet Set』の制作も始まっていた。

  • 1996年5月、トラットリアからのスタートにあたって、アップルズ・イン・ステレオの日本盤販売からスタート。002、003も輸入盤で話題の実績があったものが続き、お披露目コンピは004と後発扱いになった。

  • マイクの世界観を新規制作音源で表現するだけでなく、海外インディーの新しいアーティストを日本に紹介するラインとしても機能していた。この場合、マイクは海外とのライセンス交渉などA&R的な役割で絡んだものと思われる。

  • ポリスターからのリリースは1997年まで。コンピの2、3号目を出した1999~2000年には何らかの理由(ポリスターの経営難など?)で、別のレコード会社からリリースするようになった。

  • 以後、イフにはマイクの屋号のような性格だけが残った。

1999年以後はマイクの「屋号」に?

さて、最初に引いたマイクの発言では、イフ・レコーズのリリースは「アルバムが6枚」となっていました。たしかに「if... 001」のような連番が付いているのは6枚だけなのですが、『Songs For The Jet Set 2000 Volume 3』以後も、イフの名前やロゴマークが付いたレコードは存在します。詳細はめんどうなのでDiscogsで。

If... Label | Releases | Discogs
https://www.discogs.com/label/373783-If

サイモン・ターナーのラヴレターとか、デス・バイ・チョコレート、デヴィッド・キャンディ、ミルキーといったアーティストの作品がリリースされています。またエル時代に日本盤のシングルだけが出てアルバムはお蔵入りになってしまった愛すべきキッズ・グループ、ハンキー・ドリーの初リリースなんかも出していますね。この時期は、エル・グラフィックによる切り絵っぽいジャケットデザインにも統一感があります。

スペインのシエスタ、アメリカのジェットセット・レコーズなどからリリースされているのは従来どおり。日本での配給はバッドニュースだったりラパレイユフォトビスだったりまちまちなので、どちらかというと前述のデザインの統一感と相まって、イフというと「マイク・オールウェイが2000年代のはじめにスペインのシエスタと組んでやっていたシリーズのようなもの」というイメージを持っている人もいるかもしれません(私もそうでした)。

さっきから「レーベル」「プロジェクト」「屋号」「シリーズのようなもの」といろいろと煮え切らない言葉の使い方をしていますが、要するにイフは、特定の会社とかある会社の一部門として確立された「レーベル」とは言えなくて、いろんなレーベルに間借りするようなリリース形態になっているように見えるので、ぴったりくる言葉がないってことです。

ちなみにDiscogsにある「If...」の説明は以下のようになっています。

マイク・オールウェイ関連のレーベル/インプリント(A Mike Alway related label/imprint)で、日本のトラットリア、スペインのシエスタ、アメリカのジェットセット・レコード、イギリスのエル/チェリー・レッドなどのレーベルと提携して音楽をリリースした。1996年から2000年代初頭まで活動。

長々書く前に最初からこの定義を出せよ、と言われてしまいそうですが、このマイク・オールウェイ「関連の」「レーベル/インプリント」とか、ほかのレーベルと「連携して」という書きぶりの微妙さを味わうためにここまで書いてきたわけですね。

ちなみに「インプリント」という言葉は、個人的にはここで翻訳シリーズをやっていて初めて意識するようになった言葉です。一般人の私が知らないだけなのか、それとも日本の音楽業界でもそれほどなじみがない言葉なのかはわかりませんが、いろいろ調べていたら長くなったのでそれはそれで別稿で。

※11/13追記
インプリントについて、続きを書きました。

「オールウェイ氏の数奇な冒険は幕を閉じる」

私がイフについて調べたことはだいたい以上なのですが、最後におまけを。先ほどイフのプロトタイプ的なコンピレーションとしてあげた『Dream Topping』では、ライナーとして、ヴェリティ・ド・マン(Verity De Mann)なる人物による謎の手紙が掲載されています。

その内容は、普通に考えて一から十まで嘘ですし、資料的に役立つというものではありませんが、逆に言うとエルもイフも、本当にマイク・オールウェイという人のパーソナリティーありきのレーベルだったのだなと感じさせられる「我の強さ」がにじみ出ていて趣深いので、最後に訳出しておきます。エルが終わって、これからイフという新しいプロジェクトを始めていこうとするにあたっての、このアイロニーよ。

1995年6月7日
拝啓 5月21日付けの書簡を拝受し、マイケル・オールウェイ氏の紹介状を差し上げることができないことを遺憾に存じます。しかしながら、私どもの共同出資者が置かれている状況に苛立ちを感じている私には、あなた方にオールウェイ氏の近況について情報を提供すること以外にできることはありません。事業会社エル・レコーズの破綻後、オールウェイ氏は負債から逃れることを余儀なくされました。彼は背信の旅の末、スペイン南部のSへとたどり着きました。そこで彼はW氏のもてなしを受けたのです。夏が過ぎ、W氏の幼い子供たちの母親を裏切ったことが発覚したため、オールウェイ氏は退去を命じられました。オールウェイ氏が姿を消したとたん、ある不愉快な事実が明らかになりました。要するに、オールウェイ氏はW氏の妻と長女の両方と不適切な親交を結んでいたのです。オールウェイ氏は英国に戻り、一連の活発なビジネス取引の後、Rに住居を構えました。オールウェイ氏がB大尉に戦いを挑むよう命じられるまでは、すべては平穏でした。この不幸な出来事は、オールウェイ氏がB大尉に向けたある誹謗中傷によって予期されたものではありました。残念なことに、このような問題では勝者は一人しか存在できず、オールウェイ氏には再びイングランドを離れる理由ができました。アメリカへの航路を確保しようとしたところ、彼は女王陛下の警護隊に逮捕され、その後、紳士の罪で3年の禁固刑を言い渡されました。この6月をもって、私の知るオールウェイ氏の数奇な冒険は幕を閉じることになります。この評判の悪い人物には細心の注意を払って接するように懇願せずにはおれませんし、まだ彼と親密な秘密を共有していないことを願うばかりであります。オールウェイ氏は恐るべき人物であり、彼を知る者は危険を覚悟するべきです!
ヴェリティ・ド・マン

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