テン・イヤーズ・アフター
何年前のことだったか、いつかの春の日に鎌倉まで出掛け、海岸を歩いたことがあります。
正午をすこし過ぎた頃の江ノ島電鉄はやたらにひとが多くて、それなのに怖いくらいにおだやかで。待ち合わせた駅で電車を降りると、薄手のコートを脱いでも歩けるくらいにあたたかく陽が照っていました。
程なくして、海を見に行こう、とぼくを誘ったそのひとは現れました。俯きがちな横顔が春の風に吹かれると、まるで絵画のようで、思わずハッとしたことを覚えています。
駅前の喫茶店を出て海へと歩き始めた頃には、空は少しだけ曇って、傾きかけた太陽は雲の向こうへと隠れていました。遠くから潮の匂いがして、それが鼻の奥を時折ツンとさせました。
片耳ずつしたイヤフォンから流れていた音楽が次第に波の音に掻き消されて、気がつくと目の前に静かな春の海がありました。
コバルト・ブルーの海面はどこまでも遠くへと続いていて、水平線の向こうに消えていく船の影が淡くみえていました。
砂浜へ続く階段を下り、薄手の白いシャツでぼくの数歩先をあるくそのひとが振り向いたときです。
雲間を抜けた陽の光があたり一面に注いで、3月の海岸をたったの一瞬で光画の世界に変えてしまいました。それは、星の最期をみるようにまぶしい光景でした。
水面で乱反射した無数の光を纏って、澄んだ絵画の顔でそのひとは笑ってみせました。
まるで水彩の絵が滲むようにきれいなその瞬間を目にしたとき、ふいに頭の中をよぎった音楽がありました。
“10年後、”
口をついででかけたその曲の歌詞を、咄嗟に呑み込みました。それから、もう一度。
10年後。
言葉の続きは海風にさらわれてしまって、精一杯、ばつが悪そうに笑いました。
静かに揺れ続ける光画のなかで、いつまでも、動けないままでいました。
あれからもう何年が過ぎたのか、コバルトの深い青は記憶のなかですこしずつ色褪せてしまって、それでも未だにぼくはあの日のゆめをみます。
言いかけた言葉の、言わなかったその続きを想って、きっと今年の春も海へ行かないままです。
悠然と過ごす日々の中で
偶然街で君に出会いたい
10年後踊る君に会いたい
10年後踊る君に会いたい
- Balloon at dawn 「Ten」より
(Date: Unknown)
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