とうめい




 公園の砂場に散らばっている透明の粒をあつめたことがありますか?あれはガラスのかけらではなく石英という鉱物なのだと、つい最近になって知りました。
 
 
 
 まだ小学校の低学年のころ、補助輪を外したばかりの自転車で近所の公園に通っては、熱心にそのきらきらを拾い蒐めていたことがあります。幼い子供の自分にとってそれはまるで宝石のようで、来る日もくる日も、母からもらったジャムの空き瓶にかけらを詰めて、家に持ち帰ってからもずうっと眺めていました。
 
 
 思えば、いまでも漫画やらレコードやらをやたらと手元に置きたがる自分の収集癖はここからはじまっているのかもしれません。2, 3ヶ月もすればアオハタのジャム瓶はきらきらでいっぱいになって、それを光に透かしたときの乱反射が万華鏡のようですきでした。
 
 

 そんなある日の昼過ぎのことです。外があたたかくて、部屋の窓を開け放ったまましばらくぼんやりとしていました。それから、瓶の中に光をあつめようとして、宝石のぎゅうぎゅうに詰まったそれを、蓋をあけて窓際に置きました。
 
 
 
 


 強い風が一度だけ吹きました。
 
 
 
 

 あ、と思ったときにはもう遅くて、きらきらは傾いた瓶の中から窓枠の向こう側へと流れていってしまいました。スローモーションで溢れていく光のかけらを視界の隅にとらえたまま、数秒、動けないままでいました。
 
 
 窓の外で散らばった透明の粒と割れてしまったガラス瓶の破片が、傾きかけた午後の陽の光を反射してまぶしかったことをいまでも覚えています。きっとそれが、ぼくが生まれてはじめてせつないと思った瞬間です。


(2021.8.17)


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