共形写像


 丘陵の上からは海が遠くまで見渡せた。生前の彼女の願い通りに、遺骨はこの丘の共同墓地に埋められる運びになった。


 見下ろすと、嘗て海沿いを走った鉄道は廃線になり、錆びて朽ちたレールが水と陸を隔てている。確かにここにあったはずの賑やかさが、今はもうない。1年ごとにこの街を訪れるたび、辺りが少しずつ寂れていくのがわかった。


 線香の煙が薄曇りの空へ消えていく。


 この歳になるともう取り立てて話すこともないのだが、一応は近況の報告をする。髪を少し短くしたことや、引っ越して猫を飼い始めたこと。あたらしい街にまだ馴染めないこと。


 理由もなくどこかへ集まっては、他愛もないことばかりを話した日々の記憶がふと胸を過ぎる。何か変わってしまったようで、なにも変わっていないのかもしれない。

 また来年もくるよ、と独り言ち、海のみえる丘をあとにした。ぽつぽつと、街に燈が灯りはじめていた。




 帰りの電車で手帳をひらいた。一枚だけ手元に残っている彼女の写真をそこへ挟んである。


 確か、秋のはじまりの涼しい夜だった。電車へ乗り込む彼女を反対側のホームから見送っていたのだが、黄色いラインの車両が通り過ぎたあと、それに乗ったはずの彼女はまだホームに立って、こちらへ手を振っていた。

 どこかの広告でみたような演出を流石に恥ずかしく思ったのか、口元をおさえて照れているその姿に、思わずカメラを向けた。慌ててシャッターを切ったこの写真はすこしピントがぼやけているが、あの夜の空気を切り取っている気がして、いつの間にか手放せなくなってしまった。


 フィルムのなかで淡くピンぼけした彼女は、いつもおなじ表情でこちらを見ている。

 何か変わってしまったようで、なにも変わっていないな。そんな風に思った。






 そんなことを不意に思い出したせいで、乗り換えの駅で目の前に止まっていた電車をやり過ごしてしまった。


 閉じたドアに映った自分の顔が、いまより少しだけ若いあの頃の風貌にみえて、思わず目を擦った。少し疲れてしまったのだろう。




 そして黄色いラインの車両が通り過ぎたあと、ホームの向こう側から、不意にシャッターの切れる音を聞いた気がした。思わず対岸を見渡したが、もうそこには誰もいなかった。

 あの日とおなじ、九月の風が吹いていた。


(2021.9.5)

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