見出し画像

私の終の住処、sumika

2023年2月24日、信じたくもないことが起こった。愛してやまない人がこの世を去ったと唐突に知らされた。
今でも、嘘なんじゃないかと思っている。また、ひょっこりと現れて、肩からその短いストラップを提げて、宇宙で1番かっこいいギターを奏でるんじゃないか、と思っている。くだらない冗談を言って、みんなのことを笑わせてくれるんじゃないかと、思っている。

私の高校生活は、一言で表せば「悲惨」。学校に居て良い思い出などほんのひとつもない。その3年間で私の唯一の支えは音楽だった。大好きな人たちの音楽を聴くことが私の存在意義だった。
高校一年の時に出逢ったのがsumikaだった。sumikaの音楽は問答無用で私の味方で居続けてくれた。私の終の住処をsumikaにしようと思った。sumikaの音楽が、sumikaの4人が愛おしくて堪らなかった。sumikaのために生きた。sumikaのために勉強に励んだ。全てはこの収容所のような高校から出所して、いち早くsumikaに会うためだと思ったらどんな苦行でも耐えられた。

そして、2023年1月14日、15日。3年間の集大成である大学入学共通テストが行われた。その結果を以て、私は第一志望の大学を受験することを諦めざるを得なかった。
その時私は自殺しようと思った。何のための3年間だったのかわからなかった。人生の全てに絶望した。
私は絶望の最中、sumikaの音楽に縋った。私を救ってくれるのはいつだってsumikaだと思ったから。
「グライダースライダー」という曲がある。共通テストで悲惨な点数をとって絶望に沈んでいた時、この曲だけが私の背中を押してくれた。お世辞抜きで、この曲が私の人生を変えてくれた。絶望から私を掬い上げてくれるのはsumikaしかいない。
グライダースライダーのおかげで、私は受験する大学を変える、という大きな決断を取ることができた。

そして2月24日、受験の前日。私は受験会場の地に降り立った。移動中も私は受験期に愛用していたプレイリストを聴いていた。この2日が終わったら、私はsumikaに会える。sumikaだけじゃなく、私の支えとなってくれた全ての人たちに会いに行ける。そう考えるだけで俄然やる気が湧いた。
その晩である。夕食をとっていたところ、携帯の通知が鳴った。sumikaの公式Twitterからだった。
そこに書いてあるのは、「sumikaに関するお知らせ」の文字列だった。
全てを悟った。良いお知らせ、素敵なお知らせではない、と瞬時に分かった。
添付されたリンクはアクセスが集中して、なかなか入れなかった。全身に悪寒が走った。
その時、リプライ欄を見ると、意味のわからないことを書いている人がいた。
そんなわけがない。そんなわけ、あるはずもない。嘘をつくな。そんなの嘘に決まっている。不謹慎な冗談を書く人もいるもんだなあ。
完全に頭が混乱した後すぐ、TLに流れてきたツイートで全てを知った。

頭が真っ白になり、視界は真っ暗になった。理解の範疇を超えた出来事が起こった。本当に意味がわからなかった。
我に返った自分は泣いていた。人生で1番悲しい、大量の涙が勝手に出てきた。声にならない嗚咽をあげていた。
大好きな、大好きなギタリストが突然にこの世からいなくなってしまったらしい。嘘だと思いたい。いや、嘘である。こんなこと現実に起こったらダメだ。まして私は明日、人生で1番大切な試験を受けに行くというのに。今日まで生きてきたのはsumikaのおかげなのに。私の全てを救ってくれたのはsumikaなのに。
私はこの報を知って、その場で彼の後を追おうと思った。神様なんて居ないし、生きていても無駄だと思った。私も彼と一緒に空に行こうと思った。彼を1人にするわけにはいかないから死んでしまおう。大学受験なんて、投げ出してしまおうと思った。

あり得ないほど泣いた。泣くことしかできなかった。この現実を受け入れることなんて、一生無理だと思った。でも、私がもしここで死んだら、sumikaに恩返しができない。私を救ってくれたsumikaに、合格という形で恩返しをしないといけない。彼のせいで私が死んだら、きっと彼は悲しむだろうと思った。sumikaは私の終の住処なんだから、恩返しをして、これからもsumikaと一生生きていくことが、私にできる全て。だから死ぬわけにはいかない。必ず私は明日、全ての力を発揮して、sumikaに恩返ししようと思った。

2月25日、26日の二日間の試験を終えた。試験中は試験に集中しようと努めたけれど、問題を解きながらどうしても泣いてしまった。でも、できる全てのことは尽くした。sumikaに感謝を伝えたかったから。

受験が終わり、自問自答の日々を過ごした。私には何かもう少しsumikaにしてあげられることがあったのでは?どうして彼のような良い人は死んで、私のような存在意義もないような人間はのうのうと生きているのだろうか?意味もわからなかった。
日々、最愛のギタリストがいないという事実を脳が拒否して、都度泣いてしまう。音楽仲間たちが酷く悲しみの底にいる様子がSNSで伺えた。彼がどれだけ愛されていたかわかった。じゃあ、なんで死んじゃったの?意味わからないよ。わかりたくも無いし、一生受け入れられないよ。
どれだけ悲しいことがあっても、それは誰かにとっての日常だし、腹は減るし眠くもなるんだと思った。残酷な世界だなあと思った。

そして私は、大学に合格することができた。
やっとこれで、今まで支えてくれたsumikaに恩返しできた。
隼ちゃん、片岡さん、おがりん、荒井さん、ありがとう。わたし、合格できたよ。sumikaのお陰だよ。
私、ハマスタに行けることになったんだよ。sumikaに初めましてをようやく言えるんだよ。

ハマスタの日が近づく。色んな新しいお知らせが1日に2個も3個も発表されて、私は興奮が抑えきれなかった。sumikaの10周年をお祝いできることはこの上ない喜びだった。彼らは2ヶ月間、歩みを止めたが、ARABAKI ROCK FESで完全復帰を果たした。ライブ終わりの写真を見た時、私の脳はやはり現実を拒否した。いるはずの人がいない。明らかにおかしいこの現実を受け入れられるはずもない。そしてハマスタの情報が解禁されるたび、やはり嘘だと思ってしまう。どこかにいるんでしょ、帰っておいでよ。

来るハマスタの日。横浜スタジアムの建物を目にした時、その壮大さからなにかパワーを得た気がした。中に足を踏み入れると、そこにいるのは皆、sumikaを愛して、横浜まで足を運んだ人たちだった。sumikaのことが好きな人がこんなにいて、一つの場所に集まっているという事実だけで涙腺が緩んでしまった。
ゲートからスタジアムの中に入ると、そこに広がるあまりにも素敵な風景に、私は感無量だった。
本当は、うちの世界一のギタリストがここでひょっこり現れるんじゃないか、なんて考えた。ドッキリって言われても全然許すし、あなたがいない、なんてまだ実感したくもなかった。でも、一曲目の雨天決行で確信に変わってしまった。どこを探してもギターを弾くあなたの姿はなかった。
画面に映し出されたのはあなたがいつも鳴らしていたギターだけだった。それを認識した瞬間、もう限界だと思った。なぜあなたがいないのだろう。わたしはまだあなたに初めましても、ありがとうも伝えられていないのに。
でも、ライブが進むにつれ、悲しみを超越した強い強い決意を、sumikaから受け取ることができた。雨が降っても槍が降っても、このバンドは終わらない。今までも今もこれからも、sumikaのギターヒーローは黒田隼之介しかいない。代わりなんて世界中どこを探したっていない。
そして私は、何があってもsumikaを好きで居続ける。何度もしたはずの決意を、固い決意に変えてくれたハマスタのライブだった。
開演と同時に降り始め、帰り支度を始めた瞬間に止んだ雨は、絶対に隼ちゃんだった。会いに来てくれたんだ、と思った。私たちが泣いてるのを隠すように、雨となって。

いまも毎日あなたのことを思い出して、苦しくて仕方なくなったり、会いたくなったり、愛おしく思ったり、声をあげて泣いてしまったりする。あの日あの時負った深い深い傷は、おそらく一生消えないし、この感情と共に生きて行くのだと思う。

昔の私は臆病で、自分の好きなものを周りに言うのも躊躇っていた節があった。でも今は違う。胸を張って「好きなバンドはsumikaです」と、公言できるようになった。sumikaを好きになった自分を誇りたい。生活のお供にsumikaの音楽があることがありがたくて仕方ない。だから、胸を張って、sumikaを好きだと言い続ける。
これからも、ずっと、sumikaは私の住処です。


5/14の横浜スタジアム

#sumika
#片岡健太
#小川貴之
#荒井智之
#黒田隼之介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?