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せんそう



この内容で記事を書くことは、
NEBOCHANGとしてよキャラクター作りにどうなのか何回も悩んだけれど、
最近、自分にとってそれを考えるきっかけがあったため、記録に残します。




前から第二次世界大戦の写真を見るたびに
戦争は悲惨なものなんだな…と誰もが思う感情を持ってはいたものの、どんなものなのか自分自身で分かる方法はなく、毎日を必死に生きているだけでした。

ただ、目の前のできることをする。海外で展示がしたい。そのために今を頑張る。やりきる。
そういった過ごし方をしていました。(多分今も)

そんな中6月中旬に、海外の方がたくさんくる
イベントに誘われて初めて渋谷で出展をした時のこと。

言葉が通じなくても、ほとんどの方が作品について言葉をくれ、語り合うという素敵な時間だったと思います。
どういう意図を持ってこれを描いたのか
なぜここにこの色をつかっているのか
技法は?



など、様々な意見や応援をくれた方がたくさんいました。

そのイベントは夜遅くまで続いたので、
事前に取っておいたゲストハウスに宿泊し、
朝を迎えました。
私が共有スペースで絵を描いていると
近くに座った2人も絵を描いており、必然的に仲良くなりました。
言葉は通じませんが、ニュアンスやアートについて話そうとすることで自然に友達になっていました。
2人の女性はアメリカから来た観光客で、
とても気さくな方々でした。

2日目は、九段下駅を降り、靖国神社を参拝しました。
というのも、靖国神社の隣にある
遊就館という戦争博物館に訪れるためでした。

私はずっと、相手を理解するためにはまずは自分のことを本当の意味で理解する必要があると
考えていて、
海外で活動を展開していきたいと思った時に
自分の国の歴史や、文化を知らないことは
恥ずかしいことではないかと気づき、赴きました。
また、もう一つ理由があって、
同じ世代の人たちがどのような思いで戦っていたのか精神的な部分に興味を持っていたからでもあります。


中に入って順路に従うと、戦争についての詳しい展示がなされていたのですが、自分にとって内容はそれほど重要ではなく、というか
その時の自分自身にとって

「昨日や今日、友人になった人たちと、
言葉が通じなくてもアートを通して話し合える、自分の意見を伝え合える様な人と
武器を持って戦わなければいけない」

という事実があったことがものすごく怖かったです。
閉鎖的になった考えののち、そうなってしまったものだったとそう捉えました。
もちろん、展示内容の捉え方は千差満別だと思いますが、自分にとってはその捉え方が1番近く、また、いつでも起こりうることだなと考えさせられました。

かくいう自分自身も、
言葉の通じない海外の人と、絵を通して話ができるということは、体験しなければわからなかったことの様に思いますし、当時の人が
その様なことがわかる手段がなかったということもわかります。

いつでも起こりうることというのは
思考が停止し、外の世界をシャットダウンし
今自分が見えている世界が全てだと思い込んでしまうことです。
物事を俯瞰して見ることができなくなってしまうことです。

日本では、戦争の話をしたり、靖国神社の話をしたりすると、右だ!左だ!と
なぜかそれによって戦いが始まりそうになってしまうことがあります。


遊就館には当時の特攻隊の方が遺した遺書が並べられ、見ることができました。
一枚一枚を見るに、死ぬ覚悟を持って書かれたものだと一目でわかるものばかりで

なぜ?話せばわかりあえる人と
戦わなければならなかったのかと
それがすごく疑問だった。自分の中で大きなわだかまりでした。


足早に遊就館を後にして
帰りの新幹線でじっと考えていました。


戦争について


戦争はどこから始まるのか。


SORRY NEBOSUKEの持論は


「知らない」ことこそ凶器


ということです。


相手を知らないから戦いが始まる。

知ることができれば受け入れることができる。

そんな単純なものではないと学者は言うかもしれないけれど、

自分の見ている世界の外の世界を知る

そこから

平和がはじまるのではと


どうしても書きたくて書きました。


色々な意見があると思いますが、
私の気持ちはこれです。
稚拙な文章すみません。


それでは!


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