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目の前の景色が美しく見える時と見えない時の違い

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今回のテーマは「目の前の景色が美しく見える時と見えない時の違い」についてお伝えさせて頂きます。

電車から見る夕焼けや散歩中の青空。
雨の日の草や木を見て美しいと思える時があります。

また、そう思えない時もあります。
この違いは何なのでしょうか?

まず、普遍側立場は自然側です。
夕焼けや青空や草や木はその日その日で姿形を変えません。

ではそう思えない時がある。
そう思える時があるというのは「色眼鏡をかけている自分」しかないのです。

あなたが美しいと思えば美しい。
何とも思わなければ何も思えない。

色眼鏡の色が違うということです。
限りなく白の眼鏡(無垢で素直な精神)をかけているととても綺麗に見えるでしょう。

ですが、黒をかけていればどうでしょう?
見えないと思います。

ということは次の問題として何故色眼鏡のような状況が起きるのか?ということになります。

何故起きるかは明白で、簡単な言葉でお伝えをするならば「あなたの精神状態の変化」によって起こります。

イライラすると黒に近く、穏やかだと白に近くなります。
夕焼けをみて綺麗と思えるのであれば、それはあなたの精神が穏やかであり、そして心が綺麗ということです。

肉体とは2つのものが相まって存在しております。
それは「肉体」と「」です。

火傷をしたとします。
肉体は痛い。
ですが、心は痛くありません。

大切な人が亡くなったとします。
肉体は痛くありません。
ですが、心は痛い。

これが肉体と心がある証拠であり根拠です。
心は見えません。
ですが確かにあるのです。

そして、この「調和」が色眼鏡に影響を与えるのです。
調和というのは「つりあい整っていること」です。

肉体と心の調和(つりあっている)が保たれていると見える景色は綺麗なのです。

これは自ら行うことができます。
怪我をしないように安全に過ごすこと。(肉体)
精神を荒立たないように過ごすこと。(心)

ゴーダマ・ブッタさんは肉体のことを肉体舟と表現されます。

肉体は心の入れ物です。
現在界(あの世)では肉体は必要ありません。
心だけで過ごす。

肉体舟に乗り込んだ瞬間五官に支配されます。
五官というのは「目・耳・鼻・舌・身」です。

現象界(この世)で様々なものを綺麗に見えるという状態で過ごしていくためには肉体と心の調和が必要であり、人が生まれてきた意味は全員に共通して「喜ばれる存在になること

つまり「現代社会の調和」です。

あなたの行い一つで穏やかにもイライラしながらでも過ごすことができるのです。

さて、あなたはどちらを選択しますか?

ということで!
今回は「目の前の景色が美しく見える時と見えない時の違い」についてお伝えさせて頂きました!

オンラインサロン「かねちはサロン」では皆さんで楽しめる事!挑戦する事!などなどカネコチハルに集う方々と毎日楽しんでおります♪  

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もちろん参加費などはかかりませんのでご安心くださいませ。

では!
また次回の記事でお会い致しましょう!

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