愛らしく

日記をつけるようになった。「嫌だ」と言われたことをメモするようになった。爪を塗るようになった。この三つがここ二年間で僕が取り入れてよかったと思う習慣です。どれも人の影響ではじめたものだけれど今となっては生活に欠かせないものになりました。ありがとう。

日記をつける最大の恩恵は「感情を当時のまま保存しておけること」「快、不快を正確に記録しておけること」で、日々悩んだことが解像度を落とさないまま、何なら助走をつけて未来の自分に殴りかかるので思考の波は止みません。ただ、勝手に自衛機能が働いて過去の失敗や非礼、自分が踏み躙ったものまで無かったことにすることがなくなったのは恩恵と言い切れます。久々にnoteを書くので、この二年間で書き溜めたものを整理する場にしようと思います。

先ず、アーティスト写真が変わりました。

今回のアーティスト写真について、正直最後の最後まで迷いました。僕は自分を構成している要素が「澤田空海理」の楽曲にそぐわないのが許せなくて、外見、言葉遣い、笑い方、思想、纏っている雰囲気、読む本、食べるもの、部屋のレイアウト、それらを少しでも自分の中にあるアーティスト像に近づけなければと思って生きてきました。というか、生きています。今も。その中でも外見というのは本当に厄介で、入り口としての役割が他のどの要素より大きいのに一個人でコントロールできるものが少なさすぎると僕は思っています。あなたたちは僕の思想はおろか好きな食べ物と飲み物も知らないだろうけど顔と本名は知っている。とても当たり前なことですが、本当に紙切れ一枚程度の薄い隔たりを越してもらう前に顔があるのです。存在するかもわからない「アーティスト像」という言葉と一致させるために。

僕は自分の笑顔は好き。人懐こいと思う。ただ、それは楽曲の世界には要らないものだとも強く感じます。目を伏せて、綺麗な光が当たっていて、アンニュイさを醸し出すような人間でいたい。僕はそういう人になりたかったし、そういう人が好きな人に好かれたかった。 

拙作「振り返って」というアルバムで僕が書きたかったことは一段落しました。もっと細かく言えば「与太話」という曲を書き終わった時、音楽を辞めても自分は創作と向き合ったと言い切れるなと思いました。褒められたことでは決してないけどね。そうやって自分を詳らかにして、他人を食いものにして、というのを生業にした結果何も残らなくなっていって、なんとなくセンサイな歌詞と人物像を作り続けていく未来が見えてしまいました。

ようやく件のアー写の件に戻りますが、最初は以下の写真が使われる予定でした。

これは、今回吉田ハレラマさん(※1 )に撮ってもらった写真の中で最も「澤田空海理の楽曲」に近いものだと思います。無論、僕はこの写真を公式のアー写にしたいと考えていました。とっても好もしい写真。ただ、それは停滞であり呪いになる気もしました。この写真を掲げることによって僕はまた「繊細な何か」になろうとしてしまう気がする。作る楽曲に嘘偽りはないし、歌詞は僕の誇りであり、自分が憧れた人が認めてくれた武器でもあり、思い出でもあります。それを好きでいてくれるあなたたちの感性も好きだし疑いません。等身大の僕を見てほしい、なんてのは一切思いません。楽曲を愛してくれた上で、都合よく人間側も愛してくれなんて畏れ多くて言えません。そもそも等身大の自分とやらが好きじゃないからこんなに拗れたわけで、それなら各々がフィルターを通して僕を見てくれた方がよほど健康的です。ただ、「愛らしく」あろうとは思います。変わっていこうとしてる自分がいるということくらいは知ってもらおう、そのくらいの負担はあなたにも背負ってもらおうと。今回の撮影は自分が気を許している友達にも同行してもらって「自然体を撮ろう」という意図で進みました。結局、選ぶ段階において迷ってしまったのだけれど。根深い問題ですが、これも僕の一部なので大切にします。そういう意図で選ばれたのがこのアー写です。よろしくね。

「コフレ」という新しく発表された曲があります。これについての解説はありません。曲を聴いて感じてもらったものが全てです。冬はとても好き。歌を教わっている先生が「歌はギフト」だと仰っていて、これは才能という話ではなく自分の人生を通ったものがどんな形であれ楽曲や歌唱に返ってくるという意味だと僕は捉えています。作詞をするにあたって、人物を曲中に登場させるにあたって、それは必ず自分の人生に登場してくれている/してくれた人たちの要素を含んでいます。だからこそ歌詞はひとりひとり違うはずで、関わってくれた人たちには感謝しかありません。どうしても悲しい部分を切り取ることが多くなっていたけど、その倍ではきかないくらい楽しいことが人と関わっていく中には溢れていたはずで、それもこれからの作詞人生に混ぜ込んでいけたらと考えています。

長々と自分の話をして恐縮ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。細かい内容は伏せますが、来年からは人の力を借りながら音楽を発表していくことになりそうです。その境目になる作品が「振り返って」という、どうしようもなく変わらない人間のアルバムであったこと、自分のエゴだけで完結する活動の最後がこの一枚で良かった。春はまだ遠いです。時間はかかると思いますが、変わっていく僕によかったらついてきてください。

2022/12/21

※1 「魚と猫」「与太話」「じょー」「振り返って」でお世話になった映像作家さん。自分の好きなものがハッキリしている人で僕は大好きです。あとは"かわいい"という観念に評価軸を置いているところを信頼しています。

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