【SH考察:048】冥王は母を何と呼んだか
Sound HorizonのMoiraでは、『冥王 -Θανατος-』にて、タナトスが母上のことを「モイラ!」と呼ぶ。
アルバム名の読み方が「ミラ」だから、初見では違和感があるだろう。
なぜ発音の揺らぎがあるのか、その理由を考えまとめた。
対象
6th Story Moiraより『冥王 -Θανατος-』
考察
タナトスが母を呼ぶとき
曲中、タナトスは母を2回呼ぶ。
ここの「母上」の発音が気になる。明らかに「モイラ」と発音しているように聞こえる。
6th StoryのタイトルはMoira。発音は「ミラ」だ。
なぜ発音に揺らぎが起きているのかを探りたい。
ちなみに、神は一人二人ではなく一柱二柱と、「柱」を単位にして数える。
母上に対する「あなた」が貴女ではなく貴柱なのはそのため。
そもそも「モイラ」とは
モイラとは現実のギリシャ神話でも登場する、寿命や運命を司る女神のことを指す言葉。
ただし運命を司る女神は3柱おり、3柱ともをまとめて指す場合はモイライと複数形に語末が変わる。
もともとは一柱だけだったが、後に3柱いるものと考えられるようになった。
サンホラの世界ではずっと「ミラ」または「モイラ」と単数形で呼ばれていることから、単独で運命を神格化した存在としてその存在を認知されていたと思われる。
また、サンホラの世界で、Moira以降糸を紡ぐ描写、特に時間の経過を表すものとして縦糸描写がよく登場するようになる。
これは現実のギリシャ神話でも運命を決める、選択することを糸にたとえる描写があることに由来すると思われる。
3柱の女神のうち、まず一柱目のクロートーが糸を紡ぎ、二柱目のラケシスが糸の長さを決めて、三柱目のアトロポスが糸を切る。こうして人間の運命、寿命が決めるとされていた。
ちなみにこの記事のサムネイルは『運命の三女神:クロートー、ラケシス、アトロポス』という絵画で、まさに女神達が糸を紡ぎ運命を定めている様子が描かれている。
(出典:John Melhuish Strudwick, Public domain, via Wikimedia Commons)
古代ギリシャ語と現代ギリシャ語
では本題だ。発音の揺らぎについて考えてみる。
ギリシャ語は古代と現代で随分発音が変わる。
(なお別にこれはギリシャ語に限った話ではない。日本語も縄文時代の人間と現代の人間で、同じ単語を発音しても全然違う音になるようだという研究はある)
「モイラ」はΜοῖραの古代ギリシャ語での発音だ。
一方でこれを翻訳機にかけて現代ギリシャ語で発音させると「ミラ」になる。
つまり、タナトスは古代ギリシャ語で呼びかけていることになる。
作中の発音の揺らぎ
作中、ギリシャ語がほぼ全て現代ギリシャ語で発音されている。
別記事でも触れたが、例えばここ。
ここの「海原女神」は海を意味するギリシャ語Θάλασσαのこと。
古代ギリシャ語での発音はTalassaだが、現代ギリシャ語的に読むとThálassaになる。
そもそもアルバム名も「ミラ」と発音しており、全体的に現代ギリシャ語発音だ。
タナトスが母を呼んだ「モイラ」だけが例外的に古代ギリシャ語発音になっている。
この理由は、このアルバムの構成を考えるとわかりやすい。
『神話 -Μυθος-』から『神話の終焉 -Τελος-』までは、アレクセイ ロマノヴィチ ズヴォリンスキーがもつ母の形見の内容だととらえることが出来る。
この【叙事詩】はかつて暗誦詩人ミロスがその弟子となったエレフセウスのために残した詩で、Элэфсэйаとして出版されているようだ。
もとは当然ギリシャ語だっただろうが、Хроника Романовиа Михайловаというあまりにも気になりすぎる名を持つ人物がロシア語に翻訳している。
歌詞カードで『神話の終焉 -Τελος-』の後の挿絵をめくると、СУДЬБА ИЗДАНИЕと書かれている。
これは本の背表紙か奥付か、ともかく一番最後であろうページ。
アレクセイが持っていた形見の本の内容が終わったことを表しており、それは言い換えると今まで見聞きしていた、『人生は入れ子人形 -Матрёшка-』の次である『神話 -Μυθος-』以降の話は全て本に則った内容だったことがわかる。
この本が現代発音に則って表記されていたら、それを聞かされる我々の耳にも現代発音で聞こえて当然だ。
一方で、『人生は入れ子人形 -Матрёшка-』より前に語られる『冥王 -Θανατος-』は叙事詩に含まれない。
そのため元の発音のままだったのだろう。
アレクセイと翻訳家クロニカについては、こちらの記事で触れている。
結論
タナトスは古代の発音のまま母を呼び、叙事詩の内容を後追いする我々はその内容を現代語発音で聞いていた。
アルバムタイトルの発音を「ミラ」と知ってから『冥王 -Θανατος-』を聞くと、いきなり「モイラ!」と呼んでて面食らうが、むしろ登場人物たちは皆、当時は「モイラ」と発音していた可能性が高いのだろう。
例えばこことか。
更新履歴
2023/08/11
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
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