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花のこと


物事を忘れていく順番は
「聴覚→視覚→触覚→味覚→嗅覚」
だと言われている。


声、忘れたくないな。


大好きな祖母が亡くなって数ヶ月、
最後に喋ったのは昨年の夏だった。


その頃にはもうコロナが広まっていて
当然、面会は出来なくなっていた。



それでも、嫁にいった報告がしたくて
両親と、夫と一緒に病院へ向かった。


病院の駐車場からは
祖母が入院していた病室がよく見えた。


外から、祖母に電話を繋いで
病室の窓側に来てもらうように話した。
(入院中とは言え、まだピンピンしていた)



すると3階の窓に
私たちと通話中の携帯電話を片手に、
嬉しそうな顔をした祖母が現れる。


駐車場と病室での会話。
近いようで遠い。


「おばあちゃん、旦那さんだよ。」
夫を紹介する。



「初めまして。〇〇と申します。」
挨拶をする夫。



「この子は私に似てツンケンしてるからね(笑)でも、よろしくお願いします。」と祖母は言った。

その後、両親にも電話を代わり


「また会いに来るからね。」
そう言ったのが最後になってしまった。


お喋り好きで、どこへ行っても
誰とでもすぐに打ち解けられる祖母。


入院中、寂しかっただろうな。



もっとお喋りしたかっただろうな。



そう言えば、祖母の家には
立派な しだれ梅が植わっていて、
毎年春が近づくと満開に咲く。
(世話をしていなくても。笑)


祖母は、その満開のしだれ梅を
写真に収めては「綺麗でしょ?」と
みんなによく自慢していた。

それが、今年は
蕾すら出なかったらしい。


きっと梅も悲しんでいるんだろうな。



居なくなって数ヶ月経った今も、
相変わらずタラレバばかり言ってしまう。



亡くなった人のことを この世の誰かが思い出すと、天国みたいな遠い場所でその人のまわりに綺麗な花が降ってくるというのがあって、

あ〜私が「こうすればよかった」「もっとああしておけばよかった」と後悔している間にも、祖母のところには綺麗な花が降っているんだなと思うと



少しだけ、救われた。


こうして日常の中で思い出すことが
供養になるのかなぁ。



今日もそちらで、花が降っていますように。



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