アートホーリーメン / ART HOLLY MEN

当時、23歳くらいかな、福岡のデザイン学校に行ったけど、成績不良で、実家の熊本に戻り。ほんと目的もなく、だらしない生活を送ってる時に、ぼんやりとイラストの仕事とかしながら、横尾忠則みたいな芸術家に俺もなれないのかなって。

地元の、ほかほか弁当のアルバイトに行った時に、お店のポップを書いてくれ、みたいな事で。じゃぁ俺描きますって。それで、ピカソの「泣く女」の模写をして、店長に持っていった。でも向こうからすれば、一体これをどうすればいいのって。その後、店長さんと喧嘩になって、3ヶ月ぐらいで辞めちゃうって言う顛末なんだけど。

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なんでその時ピカソの「泣く女」を模写したかというと、芸術に近づきたいけど、自分の能力や努力のなさやら、熊本にいてどうしていいかわかんない。お金も仕事もないって言うすごい絶望的な不安感の中で。
芸術家っていう存在に近づく唯一の行為が、ピカソの「泣く女」という、その当時、自分が一番すごいと思っていた絵を模写することだった。

昨日、地元の建築家から、「熊本の新町の家から、ホーリーメンの絵が出てきたよ、これホーリーメンの絵じゃないの?」って連絡があって。
二十数年前のお弁当屋さんで書いた、ピカソの「泣く女」が、何故か新町で見つかったらしい。その、ほか弁っていうのは、熊本地震のほんとに一番ひどかった、益城町のど真ん中にあったお弁当屋さんで。その絵が20数年ぶりに、しかも熊本の建築家を通じて、今別府の建築事務所で展示をしている自分のところに絵が戻ってくるっていうか、突き付けられるというか不思議な感じ。

二十数年前の自分のささやかな取り組み、芸術に近づきたいって言う、なんか日本の片田舎に住んでて、芸術と関わるって一体どうしたらいいのか。不安感の中でもささやかなあゆみ、一歩みたいなことが、無駄じゃないみたいなことを自分に送りつけられてきた感じで、背筋がゾワっとした不思議な体験だった。


アートホーリーメンについて教えてください。

大友克洋の「アキラ」の線描が、本当に、びっくりするぐらい素晴らしいと思ってたから。ちょっとメモ帳に、ボールペンで線引いて、真似できるだけでも喜びがあって。そういうところから徐々に漫画のコンセプチャルの作品とかドローイングに興味を持ち始めて。自分で物語を作ったり、ホーリーマンっていう人物を勝手に考えて、「風の谷のナウシカ」とか「アキラ
」みたいな作品に近いようなものを自分でもアートの世界で出来ないかなって。

アートホーリーメンというのは、HORYMANを主人公とした、「HORYMANと鯱」という作品のプロジェクトをやっている作家名、プロジェクト名みたいなとこ。
HORYMANという人物像をアートの世界で表現するための母体というか、客観的な存在。名前は何でもよかったんだけど。架空の作品をやっぱり現実からかなり離れた作品にしたかったから。自分の名前でやっていくと、現実に引き戻されるっていうのを避けるために、名前を架空にして、作品も架空、自分自身の作業も架空というような距離を置いた感じにした。


30歳から作家活動を始めて、1年目ぐらいに村上隆のGEISAIって言うイベントで、銅賞と長谷川裕子賞って、いきなり賞とかもらってしまって。ちょっと使命感みたいなものも出てきたり。その時に、不思議な現象があって。賞をもらった後に、実家の縁側でぼーっとコーヒーを飲んでたら、突然頭の中に「あなたは宗教とは関係のない祈りの場所を作りなさい。」ってメッセージが聞こえてきて。
作品をなんとか頑張って作り終えれば、その言葉の意味とか、たどり着いた展覧会が、何か素晴らしいものになっているかもしれないから、なんとかやり遂げなくちゃいけない。物語を作らなくちゃいけない。宗教とは距離を置いた、人間が精神性を研ぎすますような、空間を作るって言うことを目標にして頑張ることになって。

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それは2005年から始まって、2018年の熊本市現代美術館のギャラリーⅢでの個展まで続いた。カッティングシートで太陽信仰を表したような、インスタレーションとか。物語作品を全部コンプリートして作り上げることで、神話的な物語とか、太陽信仰に関することだったりとか、アニミズムとか、そういったものをまとめることができた。
不思議な声が聞こえてから、「HORYMANと鯱」という作品を、コンセプチャルな漫画の考え方で作品としてまとめて、一応やり遂げて。
そこから1つ区切りをつけて、コレクティブなアートの活動だったり、今まで描きたかった絵画作品制作だったりをアートホーリーメンから、原口勉という実名にして活動を再開という形になった。


一区切り以降の作品は、それまでとどのように違うのですか?

それまで作っている中で、日本の美術って何なのかとか、西洋の美術は何なのかって言う、まぁ自分の中で禅問答みたいなのがずっとあったときに、日本の美術はやっぱり線描の美術。東洋の美術は線描の美術だと。
西洋人たちは、3次元的な科学的な中で美術を発展させてきた歴史がある。日本の場合は、観念的に線描を通じて、春画みたいなものとか、リアルに人間の欲望みたいなものを表してるみたいなところも理解ができていて。それが浮世絵とか漫画とかの発展につながったり。藤田嗣治の線描の絵画があったり、大友克洋の緻密な漫画の作品があったり。そういう気づきをもっと絵画っていう中で出していこうって、絞り込んだりしてる。
だから全然別って言うわけじゃなくて、もっと素朴にこういう絵が作りたかったんだけどアートホーリーメンの枠ではちょっと押さえ込んでいた、制限かけていた、絵とか活動とかを、もうちょっと自由にやっているとこ。


その中で技術的な変化っていうのはあるのですか?

技術的な変化はやっぱり、それまでに学んできた線描の美術、線描の技量の検証。大友克洋の線描と、大友克洋が参考にしたメビウスの線描、浮世絵の中にある線描、定規を使ったりしないと引けない線描、テンプレートを使ったりした線描とか、そういったものをうまく組み合わせるようになって。

技術的な差異は、思いっきり絵画を作り込むって言うことに関して、西洋から入ってきたフォーマット、絵画キャンバスみたいなものを意図的に取り入れるってことができるようになった。
それまでは、作品を見せる上で必要がないと思われる部分は全部省かれていたから。絵画を作る必要もなかったし。
絵は大きな絵以上の存在である必要はなかったから。ただ紙に書かれた線描と色とセリフだったり。それで、絵画って言うものを体現しようとしてた。
マテリアルの問題かな。日用品だけで組み上げた作品だったけど、原口勉になってから日用品だけじゃない、専門的な画材も持ち込むようになった。既存のアートのフォーマットの中で、その中で戯れて遊ぶっていうことが楽しいって言うこともわかっているから。そこには箱庭的な楽しさもあるし、耐久性の問題も含めて、自分も寄り添える楽しさ。
ドローイング、紙の作品に関しては、ほんとに全てが生々しくて、むき出しの状態だったから。ギリギリのものを、むき出しのマテリアルにおいての表現方法に意味があったけど、それもやり切ったから。
やっぱり今は、作品が見せやすい状況を作り上げることにやっと目が向いた。余裕が生まれてきて技量も上がってきたのも含めて。

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今の作品の内容はどういったものですか?

「HORYMANと鯱」を作っている過程で、偶発的に生まれた、生霊のようなお化けのようなキャラクターの存在があって。自分はキャラクターと物語を組み合わせる作家になったんだなと、客観的な視点があった。オリジナルキャラクターと既存のキャラクター、自分が一切感知しないというか、この世の中で勝手に見せつけられているキャラクター、ミッフィーとかドラえもんとかミッキーマウスとかイオンのワオンとか、そういったものを、デュシャンのレディーメイドの作品のように、マッシュアップみたいな感じにして。その中で、政治的な意図であったり、先進国と言われる国の野蛮なところであったり、著作権の問題であったり、そういったものを見せていく作品かな。

今後はどういった作家活動をしたいですか?

とにかく、絵画作品を熱中して作りたい。みんなが知っているもの。ミッキーマウスがあまりにも溢れかえっていることに、不満があって。資本主義世界の中で、いち消費者があまりにも商品が操られていると言うその状況に対して、もっと客観的な目線を向けられるように。マイノリティーが消費社会で洗脳されるだけではなくて、逆に立ち向かっていけるように。そういうところに目を向けさせるようなものとして、例えばみんなが100%知ってるキャラクターとかを作品の中に持ち込んで見せていく。

今描きたいのは、先進国ってキャラクターで、胴体から下が、ひっくり返されたミッフィーで、お腹のところがドラえもんで、頭がミッキーマウスになってて、ミッキーマウスの頭からドラえもんの手が生えてる。

やっぱり一番弱いのはやっぱいち消費者なんだよ。キャラクターを組み合わせて、言ってみれば周りを洗脳して、取り囲んで騙してるわけだから。なんでもかんでも、ミッキーマウスをつけて売ってたりするわけだから。その資本主義社会の汚さは目に余るもん。モラルが崩されてるわけだから。

面白いものを作りたいとか、これが売れるかどうかって言うジャッジをしながらやってる。その素地の中で、作品が薄っぺらくならないように、そういう部分がちゃんと抑えられているかって言うところがあるよね。キャラクターを描いたりしてそれが、トーテミズムの考え方にちゃんと反映されてるかとか。それがちゃんと伝わるような内容になっているかとか。

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