愛の如何

長らく認めたくはない事実ではあったのだけれど、わたしはどうやら心が弱い人のつくる作品を是とし愛するらしい。

内容の儚さは関係ない。好きになった作品、好きになった作者、みなすべて一様に心に今にも枯れそうな花を抱いているのだ。逆に言うのならば、作品の向こうに居るその作者が枯れそうな花を抱いていなければ、わたしは余程その作品に入れ込まないのだ。

別に、作品から作者が浮き彫りになっているとか、透けて見えるとか、そういう話ではない。むしろ明るく元気な人だとばかり思っていた人が実は……と言ったほうが多い。そしてわたしはなぜか、そういった類の相談を受けやすい性質でもあるために、それが比較的早い段階で簡単に露見する。おかげでわたしは自覚せざるを得なくなった。儚い人が描く物語が好きなのであると。

ついでに言うならば、人間関係もそうであった。儚い人にどうしても惹かれる。儚い人が力強く咲かせた花こそ美しいと感じてしまう。そこに水をやることができたらどれだけ良いことだろうか。

あまり良い傾向ではないうえ、人に影響を受けやすい私はあまり弱っている他の人間と関わるべきではないというのにこれはどうしたことだろうか。自分を痛めつけながらしか人を愛せないというのはどうしてだろうか。
自己肯定感が低いのかと思った。またそうではないとも感じている。世話をしてこちらに依存させたいわけではないし、むしろそういった行為によって招かれる結末が良くないことも知っている。わたしは自分がずっと強い人が好きだと思っていたし、明るいふわふわとした人が好きだと思っていたけれど、蓋を空ければ大抵の人が風ひとつでちぎれてしまいそうな柔らかな花びらの花を咲かせている人ばかりだ。


わたしの愛の如何たるや。きっとこれからも悩むだろう。


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