見出し画像

セカセカ ワクワク|1ヶ月限定一人暮らしはじめてみました

(投稿が遅くなって5月なかばに書いた記事!)

前回の暮らし日記では、仕事と大学院、そして暮らしの両立が始まったことについて、書きました。

あれから、色々と変化があったので、今回も少しですが記録していきます。

今回は、先週から始めた、1ヶ月限定一人暮らしについて。

学生だったり、行きたい場所が多かったり、いろんなところを転々としたい性格なのもあって、なかなか一人暮らしに踏み出せていなかったけれど、最近、何か新しい場所に身を置きたいという気持ちが強くなってきて、思い切って1ヶ月だけ一人暮らしを始めることにした。

「変わりたい」と、強く思った時、私はいつも、どこか新しい場所に身を置きたくなる。それは、環境かもしれないし、土地かもしれないし、情報かもしれないし、その時々だけど、自分の外に変化を起こすことで、自分が変わりたい姿に自分を引っ張っていく。


25歳ということ

なんだかんだ数年間家族と暮らしていた私が、突然一人暮らしに思い切ったきっかけは、多分5月の誕生日だったんじゃないかと思う。
25歳になった。
いまだに大学院に通っていることもあって、年齢の感覚がバグってきているけれど、25歳というのは一般的には社会人3年目とかになるらしい。

昨年から、コツコツと好きなことに向き合い、今、好きなことを、尊敬する人たちのもとで学び仕事できているので、私は自分のこれまでの選択や行動に悔いなく、毎日楽しく、いくらでも頑張れている。

なのに、25歳、という数字が、どうも私を焦らせる。

新しい業界に飛び込んだこともあり、同世代に比べて、無意識にでも焦りを感じてしまう。

同い年でも、そのフィールドにいた時間が違えばできることも違うし、逆に、私には私のバックグラウンドがあって、それを活かしたことができるはずだから、焦るのも良くない。

と、頭ではわかっているのだけれど

あんまりにも焦る気持ちが強くなってしまうものだから、
修行に出ることにした。

1ヶ月一人暮らしをしたら、今より時間を有意義に使えるようになると思うし、自分と向き合う時間が増える分、これからやりたいこと、今やるべきことを、もっと明確に描けるようになるのではと思った。

そもそも、都内暮らしの方が移動時間が削減できる、みたいな物理的な話もあったりする。

早速始めた一人暮らし

早速、都内で一人暮らしを始めた。
まず変わったことが一つ、朝、早起きできるようになった!!

これは、とても大きな変化!

仕事する時、絶対朝方の方がいいんだよなと思っていたのがやっと朝方シフトできた。
朝、静かな時間にフレッシュに作業に取り組めるのはとても有意義!

これからも続けていきたい。

あと、8時間睡眠を5-7時間睡眠に切り替えてみた。
もともと8時間睡眠死守していたけど、新しい土地ということもあって、睡眠時間が短くても起きれるようになった。

ただ、その分日中、頭がボケっとしやすくなったり、一番困ったことは喘息がぶりかえって来てしまった。今まで一度も持病を持ったことがなかったけれど、自分の限界値を体力で制限されるのは、なかなか苦労する。

きっと今まで私の周りにも、そういう制限がある中で密かに頑張って来た人たちがたくさんいるんだと思うから、私も、自分の制限の中で最大限のことができるように、日々試行錯誤を積み重ねてみる。

歳を重ねるたびに、挫折したり、どうにもならない場面に直面することが増えてきた。昔は、そういう経験をする自分を受け入れられなかったけれど、今では、新しい視点が得られるきっかけとして、今はしんどいけど将来的にいい経験だなって思うようになった。

経験するからこそ、共感できたり想像できることも、きっと世の中にはたくさんあると思う。

「悔しい」という気持ちに気づいた

今月、私にあった大きな変化といえば、「悔しい」という感覚と真正面に向き合ったことだと思う。

きっかけは、「悔しいと思うこととかあるの?」
と聞いていただいたことだった。

元々、尋常じゃない悔しがりの性格なので、「全然あると思います」とその時は答えていたし、実際にそう思っていたのだけれど、

最近、悔しい時に悔しいと思ったり、悲しいと思った時に悲しいと思う感覚が、ちょっと薄れていたんじゃないかと、ふと思った。

なにかをきっかけに、深くダメージを受けないために、”まあそういうこともあるよね”って、感情が大きく動くことをさらっと受け止める癖がついていたような感じがする。

ものづくりをする人たちに囲まれるようになってから、この「悔しい!」という言葉を聞く機会がものすごく増えたし、「悔しい」っていう気持ちは、大切な気持ちで、元気の証拠なんだ、と思うようになった。

悔しい、と感情を動かす前に、改善点を考えて次に活かしてひたすら進んでいくのが当たり前になっていたけれど、悔しいって気持ちをまず原動力にするって、すごく大きな力になるのかも。

思い返せば、今いる会社の面接をしてもらった何回かは、面接が終わるたび、もっと上手く伝えられる言葉があったかもしれない、と思ったりして、どうにもならない感情が込み上げて、真冬の深夜の帰り道に、アイスモナカジャンボにかぶり付きながら、いつも帰り道を歩いてた。あの時間は私にとって、とても大切な時間だった。

適切なタイミングで発動する「悔しい」はとてもだいじな気持ちなんだということに改めて気づくことができて、私は最近、いつもより自分の見ている景色がリアルになった感じがする。(源さんの生命体のうたみたいに見える!)

悔しい、という気持ちに気づいたことで同時に気づいたのが、「好き」の気持ち。これまた、なにかをきっかけに、昔は好きなものについてひたすら語る性格だったのが、ここ数年、すごく落ち着きのあるような、感情が動くものから距離をとったような話しかしなくなっていたのかも、と思った。

なにかに感情の重心を置くことが、後で傷つくことにつながってしまいそうで、無意識に避けていたような、そういう感じがした。

===
この、さっきから出てくる「なにか」は、多分、コロナで無くなった鳥人間の大会(と、大会までの半年間の準備期間)だったと思う。自分の中で、人生で一番本気で取り組んだものが突然なくなった時の失望感は、”仕方ないよね”とか、”そういうこともあるよね”っていう以外に、受け止め方がわからなかった。これからあるはずだった、仲間との時間も、大会直前の製作のしんどさも、大会で見る景色も、全てが消えてしまって、他の何にも変えられないものだったから、受け止め方も立ち上がり方もわからなくなっていた。
這い上がれない真っ暗闇に突き落とされて、自分ではどうにもできなくて、毎日気持ちが消えてしまいそうな感じがした。何かにどっぷり浸ると、それが突然消えた時に、どうにもならなくなってしまうんだと、その時無意識のうちに自分の中に刻み込んでいたんだと思う。
===

でも、

時間が経ち、環境も変わり、今はまた、何かを大好きになったり、悔しいと思ったりできる自分になれた気がする。


そんなこんなで、5月は、私の中で、大きな変化が起きた。

毎日、楽しいことがあったり、悔しいことがあったり、うまく行ったり行かなかったり、いろんなことがあるけれど、全部をしっかり受け止めて、毎日を過ごしていきたい。




=====
ちなみに話
上で書いていた、コロナ禍の真っ暗闇から私を引き上げてくれたのが、寝れない夜を一緒に過ごしてくれたおやすみ先生っていうYoutube動画だったり、ヒロアカだったり、朝が楽しみなる音楽だったり、いろんな作品たちでした。もう機体を飛ばすことはないけれど、今私は、ものづくりを通して、自分がどんな景色を見に行けるのか、どんなことを人に届けられるんだろうかと、あの頃と同じかそれ以上に、ワクワクできてます。日々に感謝!



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?