祇園祭、はじまりました
久々の更新です💦
なかなかこまめに記事を書く習慣がつかず、最新の記事を楽しみにしてくださっている皆様、すみません(ノД`)・゜・。
さて7月に入り、気づけば今年も半年が経ちまして・・・。
梅雨真っ只中ですが、気温や湿度は真夏だったり、異常気象が続いてますね(^^;)炎上するかもしれませんが、これは元をたどれば人が暮らしやすいようにした結果、自然が破壊され起きていることではあるので、真摯に受け入れなければならないことではありますが・・・、私もまた、暑さに耐え難いのが本音ではあります(:_;)
話がそれましたが・・・
7月に入り、京都では祇園祭がはじまりました。
「祭」と言っていますが、祇園祭は八坂神社さんのまつりごと「神事」です。
昨年も書きましたが簡単に、祇園祭とは?を簡単にお話しすると、
遥かその昔、平安京で疫病が大流行しました。この状況を当時の人々は怨霊
の仕業だ!と信じていたため、怨霊を鎮めるためには「神様のお力に頼るしかない」とヤマタノオロチを退治なさったスサノオノミコト様にお出まし願うことにしました。
人々はスサノオノミコト様が降りてこられる場所(依り代)となる神輿を作ります。
スサノヲノミコト様はお出ましくださり、神輿へお乗りになって、病気平穏・開運除災を祈り、天皇家の庭園であった神泉苑までの道のりをお渡りになりました。
これが、一般的に知られている、祇園祭となる前の「御霊会(ごりょうえ)」この時、神様がお通りになる道に66本(山城や近江・尾張など、当時の日本の国の数に合わせた)の矛を立てたこと、これが現代よく知られる祇園祭の山鉾巡行の起源です。
ただ違うのはこの時、祇園祭は天皇が命じた国家事業として始まり、担い手の方々も朝廷や貴族だったということ。
時が過ぎ、商工業などが発展・自治体も確立されて町衆が力を持つようになり、祇園祭も町衆にゆだねられることも増えて、矛は装飾をまといはじめ、町ごとに趣向を凝らした装飾がされるようになった。それが現代の「動く美術館」、現代の山鉾へと変化し、「動く美術館」といわれる山鉾巡行がというイメージが強くなったというわけです。
長くなりましたが、これはあくまで私個人の見解ですが、
祇園祭は、人々が神様に祈りをこめ、その祈りを神様が受け止めてくださった、それが現代にも引き継がれ、神様にお出まし願い、お力をお借りして無病息災・疫病退散を祈る・・・とても神聖な儀式だと思うのです。
京都で生まれ育った皆さんにはこの話があたりまえで。今更かよ?なんて声も聞こえてきそうですが・・・
よそもん(移住者)である私は、祇園祭の歴史を知り、山鉾建ての伝統技術を拝見したり、一般にもみられる儀式や神事を拝見しています。
下の写真は、現在、大丸京都店のショーウィンドウに展示されている
後祭りの殿(しんがり。最後尾)を務める大船鉾の「龍頭」
こちらは2年に一度、大船鉾にお乗りになるそうで・・・
昨年は「龍頭」さまはお留守番(保存会の方のお話)で、「大金幣」がお乗りになったお姿でしたので、今年はこの「龍頭」さまがお出ましになります♪
こちらの「龍頭」さまは、12日まで展示され、13日からはこの「龍頭」さまを製作の際にモデルとなった瀧尾神社の龍頭さまの展示になるそう。
お近くに行かれた方はぜひ、間近で龍頭さまをご覧になってください♪
また、今年は村上隆氏とのコラボで「村上隆版 祇園祭礼図」が龍頭の後ろに描かれていますので、あわせてご覧いただきたい!
ちなみに原画は、京セラ美術館で行われている「村上隆もののけ京都」展で展示されているそうです。
山鉾建てはまだですが、四条烏丸周辺では、夜になると一部の保存会さんの会館前に建てられた提灯は明かりが灯され、
祇園囃子の音色が聞こえ始めます。
暑さがまだ残る夜ですが、祇園囃子の音色がとても心地よく響いて、
個人的には、暑さのイライラも清められる気がします。
こうして日常になじんでいる祇園祭。
神事ではありますが、こんな風に日常の中で感じられる・触れられる神事は、個人的にはとても貴重時間だなぁと感じます。
これを読んでくださっている皆様も、お近くに来られた際は、日常に浸透する神事・祇園祭を楽しんでいただけたら幸いです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
あ
あ
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