自灯明

かつて、四国八十八ケ所巡礼をしたことがある。
といっても、御朱印めぐりの勢いでスタートしたので、廻る順番もばらばらで、その他もろもろ約束事も何も知らずに巡ったのだが。親切に教えてくださった、先輩お遍路さんに感謝だ。
それでも、せっかくの四国霊場巡り、弘法様とのご縁だからと、ネットで調べたりして、約束事を学んでいった。
そのなかで、ろうそくを灯す時、既に灯っているろうそくから火をもらわない、というのがあった。
それには必ず理由があるはずだ。
お遍路を進めていくうちに、ふしぎなもので、自分で気づく時が来るのだ

「人からわけてもらわずとも、自分で自分の灯をともすことができる」


ということではないか、とハタと気がついた。
正解かどうか、お寺に聞いたわけではないが、わたしの中での答えだった。

それから数年、、、「自灯明」という言葉に出会った。
禅語で、「自分をともしびとして、自分をよりどころとして生きていきなさい。」という言葉だそうだ。お釈迦さまが阿難尊者に伝えたという。

誰かや何かによりかかるのではなく、自分自身で生きていく。
簡単に言えば、依存するなということだと思う。

わたしは10年ほど前に出会った人をずっと師としていたが、あるとき、これは依存ではないかと自分を疑った。それを機に、その方から卒業するという選択をした。とはいえ、細いつながりは今でも生きている。

あくまでも、「わたし」にとっての体験でしかないのだと思う。
わたしに必要な体験を、まなびを、その時々でしているのだ。
そして、それでいいのだ。

つい正解を求めてしまいそうになるが、正解はないのだ。
真実はないのだ。いや、真実は関わった人の数だけある。
正解も数多ある。

わたしはただ自分をよりどころとして生きていく。
それだけなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?