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自殺をするならば

死に魅了された奴隷としてではなく、自ら考え抜いた結果としてそうしたい。
奴隷になりたくない。取り憑かれないようにしたい。
血縁の奴隷になりたくない。会社の奴隷になりたくない。お前の奴隷にならない。思い出の奴隷になりたくない。

選択肢が一つである場合は極めて少ない。できるだけ生きるための方法を考えたい。生存のための方法が死しか思い浮かばない場合もあるが、そういったときに備えて、寝るなどの代案を、沢山用意しておきたい。
私は生きているので、自死は選択肢の一つでしかなく、他にも取りうる行動が沢山ある。

私は死にたいと思う時がある。特に近年に限って言えば、その時の自分はただ、過去の暴言や死への欲求の奴隷になっているだけのように思う。そう思うのは、「生きてやりたいことが沢山あるはずなのに、何故か死にたいという言葉が浮かぶ」という感覚を持つようになったからだ。
私は毎日日記をつける。日記をつける中で、ひと月以上毎日自死の計画について書き連ねるというようなことは、一度もなかった。だから、まだ私は死を自分で選べる物事として捉えていないのだと思う、それが来るので受け入れる、そういう物事と捉えているのだと思う。

私は、ボールパイソンを購入した際、貯金などの計画を半年単位で実行した。

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