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応募作品②『あの頃を振り返り思うこと』

※これは、2019年に日本医師会主催の命を見つめるフォト&エッセイに応募して落選したものです。 NOTEに掲載するにあたり、気がついた分については、多少修正しております。

『 あの頃を振り返り思うこと 』

 ちょうど10年前の春の終わりに精神科閉鎖病棟へ入院したことがある。今思うと、よく子どもと一緒に暮らせていたなぁと思うような心身の状態だった。母としても自分自身のことについても全くできていないと思い、自分にバツをつける毎日だったがそれは当然だったなぁと心底思う。それでも、あの頃の私は、自分なりに精一杯頑張っていたつもりだった。だから、うまくいかないことに地団太を踏み、空回りしている自分に気がつき空しく感じる日々を過ごしていたように思う。
 あの当時の私とくらべると、今の私は考えられないくらい成長をとげた。というより発達したように思う。IQがあがったというより、思考回路の視野が狭く深く掘り下げすぎて雁字搦めになっていただけだったなと思う。視野を広く…と思うと今度はその視野を広げすぎて取捨選択が困難となっていたからだ。今の私は、どんな立場にたっても迷うことなく自分なりの答を出せるようになれた。こんな自分になれたのは精神科医の神田橋先生との出会いが大きいと思う。私にとって先生はカリスマというより仙人のように感じていた。というか、そう思って診察していただいていた(笑) それでも、そういう存在の先生にさえ話してなかったことがいくつかある。ただ、こんなふうに端的に言語化してしまうと、神田橋先生に診ていただく以前にお世話になっていた主治医の先生方のことを信頼していなかった様に思われてしまうが、それは違う。正直言ってあの当時の私は、神田橋先生以外の先生方には、自身の中で起きている摩訶不思議なことを話しても理解してもらえないと思い込んでいたからだ。それに、その神田橋先生へも開示するのに時間がかかってしまった。だから、このエッセイを通し、過去の主治医の先生方や支援者の方たちに謝りたい。それと、いつの頃からか置き去りにしていた自分自身にも〝ごめんなさい〟と謝りたい。なぜなら自己開示ができていたら、もっと早い段階で寛解の状態になれたかもしれないからだ。それに気がついてからは、努めて自身の中で巻き起こっている様々なことを神田橋先生ではない先生でも素直に話すことができるようになれた。それが鍵でもあったように思う。
 10年前の入院はメルトダウンといってもいい状態だったことで、自身の状態を認め受け入れるほかなかった。それから数年程はよかったり悪かったりを繰り返すだけで基本的生活習慣に関して以外は、10年前の自分と何ら変わってはいなかった。そして、3年程前から1年弱の間に、2度目のメルトダウンを起こし辛く苦しい体験をすることになった。その時は、死んだ方が絶対楽だと思うくらいの希死念慮にみまわれ、その状態で改めて〝生きる意味〟を問うことになった。それでも、私自身がいなくなることで私は喜ぶけれど、家族や友だちのことを思うとできなかった。そこまで苦しくても自分のことより他者の事を考えてしまう自分のエゴに嫌気もさした。そして、エゴの塊の自分をとても恥ずかしい人間だと思いながら数か月を過ごした。その当時、お世話になっていた神田橋先生が投げかけて下さった言葉は『生きる意味はある』と言ってくださったが、当時の私には全くわからなかった。それでも、とりあえず一日一日を積み重ねていけば、そのうち月日は過ぎていくのだから…と自分を窘める日々を過ごした。
 浮き沈みはありながらもまた少しずつ元気になっていく途中で〝生きる意味はなくても生きていていい〟ということに気がいた時、心底安堵した。なんだ、こんなことでよかったのかと…。そう思った。そんな矢先、もう起ることはないだろうと思っていた3度目のメルトダウンが起きたことで、自分のようで自分ではなかった状態からやっと解放された。
 その日を境に、私のメンタルは大きく変貌をとげ、その後は何か問題が起きても少々のことで落ち込むことはなくなった。ただ、悔しさや歯がゆさで怒りに震えたり、悲しくて泣くことはあっても寝込むようなことはなくなった。母や友人に話を聞いてもらうこともあるが、なるだけ自己解決できるようにもなれた。ただ、メンタルは強化されたが、身体の不具合は昔となんら変わってはいないけれど…(苦笑)。それでもなんとか生活できている。3度目のメルトダウンが起きたことで〝生活保護世帯〟にもなった。そうなったことで不満や不便なことは多々あるが、最低限の経済的な保障はしていただけているので、ゆっくりではあるが自分のペースで生活を立て直している。そのお陰もあり、昔できていなかったことがほぼクリアできるようになった。 夕方になると体力がなくなり寝込んでいたあの当時が信じられないくらい今は制限はあるが生活をし、趣味も楽しんでいる。 そして、どんなに辛く苦しいことがあっても、目の前にみえている景色が、色褪せたように感じなくなったことは、私にとって一番の喜びのようにも感じはじめている。

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