きょうのそら

20231210(日)雑多なことをツラツラと…


 昨日の暖かさから更にUPUPした本日。日中の温度とうとう20度ですって…。いやーもう、おかしすぎる。来週が怖いww

 精神的に壊れてしまった時の頃の私は、悲劇のヒロインばりに自分を卑下し、又、悲しみにくれていました。自分は可哀想な人間だと思っていて、そんな自分もたまらなく嫌いでした。
 自分を好きになれなかっただけでなく、幼い頃から言葉にならない両親への不満をずっと握りしめて大人になったことに気がつき、両親は私が本当に望んでいたことに気がついてなかったということを〝愛されてない〟と勘違いしていたんだと思った時に、私が望んでいた〝愛のカタチ〟とは違うことで〝愛されていた〟のだと分かった時に、自身の愛着の問題から解き放たれました。

 と同時に、40を過ぎてから、父に対する反抗期がはじまり、存在自体に嫌悪感を抱いてしまった時期もありました。 その期間も、父が昔のことを振り返って話をしてくれたちょっとした一言で『ああ、そうかぁ』と気がつくことがあり〝この父だから仕方がなかったんだ〟と思うにいたったことで父へのわだかまりからも解放されたのでした。

 その後も、何度か、自分が不安定になる度に母へ電話をかけバトルのようなことになっていました。その度に母に理解してもらえないことで悲しい思いをし…ということを何度か繰り返していたのです。

 思春期の頃から、ずっと貯めていた親に対する〝思いのたけ〟をちゃんと自分の口で伝え始めるようになって約4年くらい経った頃だったでしょうか。去年くらいになって、母からかえってくる言葉が少しずつ変わり始めました。

 繰り返し伝え続けた物事をやっと認めてもらえた時、自分が親に求めていたことが何だったのかも同時に紐解け『やっと話が通じた』といった気持ちで胸がいっぱいになったことは忘れられません。

 同じ日本人なのに、ちゃんと伝えてて聞こえているはずなのに、なんで、伝わらないんだろう…って思って…。なんで逃げるんだろう。なんで、ここで受け止めてくれないんだろう…って思ったんですよね。

 で、これは、私も知的障害を伴う自閉スペクトラム症のわが子に同じ態度をとっていたんだなぁと思うにいたって、自分自身とわが子との関係性も客観的に捉えるように心がけるきっかけにもなりました。ちゃんとできているかはわからないのですけれど。
 
 愛の循環ほど、価値観を合わせないとただのクロスワードゲームだと思う今日この頃です。それも必要な人たちもいるのでしょうけれど…。

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