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【海のはじまり】弥生さん

一話の弥生さんはちょっと嫌な感じがした。物分かりが良すぎるというか、物分かりがいいフリをしているような感じというか。何かこう、匂ってくるものがあって「ん?んん?」と自分の触覚に触れてくる何かがあった。

夕飯を食べてる時に夏に電話がかかってきて、それを夏がとりながら冷蔵庫に向かう。二人の時間に電話がかかってくることを全く気にしないそぶりをしながら、立ち上がった夏に「あ、立ったんだったらマヨネーズ取ってきて」と頼む。冷蔵庫の前でショックを受け動きが止まる夏。時間がかかっているのでマヨネーズを催促すべく夏の方を見る弥生さん。この一連の行動は絶妙に弥生さんの複雑な心のうちを表しているように感じた。弥生さんはきっと相手を無条件に信頼して何も気にならない人ではなくて、そういう人でいたいと頑張る人なのだろうなと思った。

夏に電話がかかってくる。「誰だろう?」「なんの要件だろう」きっと全て気になっているし知りたいと思っている。それが嫉妬だとか詮索だとか野次馬根性だとかそういうことではなくて、自分の一部だと思っている人の全てが無条件に気になるし知りたい欲求が湧いてくる。本能的な。いい悪いではなく愛情の延長線、副作用的なものとして。人によってはあっけらかんとその湧いた思いを口にする人もいるだろうし、口にはしないけどしっかり胸の内でモヤモヤする人もいるだろう。そういう人たちはストレートな人たちだ。弥生さんはそうではないタイプだと思う。その湧いてきた思いを理性で変換しようとする。自分がこうありたいという形に持っていこうとする。その過程って、私みたいな人には「いい子ぶってる」ように見えてちょっと鼻についたりする。その鼻についた感じがしたのが一話目だった。

二話目三話目で、その感じは少しづつ変わっていった。仕事もそつなくこないし、社会的地位もあり、人付き合いも上手で社会的信頼もあって、彼氏ともうまくやっている弥生さん。その彼氏に突如湧いて出たスキャンダルにも冷静に穏やかに対応していく。いい子ぶりではなくて、弥生さんは自身の辛い過去も抱えながら「頑張って」自分のありたい自分でいようとしている努力の人だと思った。表面だけの「ふり」じゃないなと思ったのは、仕事をしていても、ランチをしていても、常に痛みを抱えているように感じたから。この場合の痛みって、彼女個人の過去からの痛みと今回の彼氏との関係の痛みと、どちらも常に彼女は心のうちに置いて次の一歩を考えているように感じたから。イメージはロッククライミング。岩肌に突き出る石に手をかけて登っている。それぞれに石に手をかけると手が痛むんだけれど、一つ一つちゃんと掴みながらそれを支えに上に登っていく。静かに無言で。

私が弥生さんに対して鼻についた感じがしたのは、完全なる妬み。自分がいい子ぶりの人で、本当のいい子になりたいのにそこまでの覚悟がなくてなれなくてジタバタもがくばっかりだから、いい人ぶってる人を見ると嫌悪感を抱く癖がある。癖、というか呪い。でも弥生さんはそんな偽物じゃなかったみたいだ。本人が「こういう人でいたいと努力している」という意識はないのかもしれないけど、彼女の心の真ん中にある芯に反しないように行動しようとしている様子が眩しい。羨ましい。美しい人だなと思う。

このお話に出てくる人たちはみんな基本的にそういう人ばかり。誰も完璧な人はいないし、誰も間違いをしたり(受け答えが冷たいとか)もするけれど、みんなで落としあったりしない。誰かが落とすと誰かが流す。let it go.
そして少し時間が流れる。そして少しづつ物事が進んでいく。この物語の人たちは美しいなと思う。

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