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毎日見える景色が違う

当たり前なんだけどね。
毎日違う毎時毎時瞬間毎に景色って変わってる

ずっと同じなんてなくて

呼吸の仕方も全て違ってるし
心拍だって違う
細胞の分裂も生成も破壊も不規則で
人の感情だって瞬間瞬間で違っていく…

なのに何故か人は同じ状況を繰り返したり
それを求めたりするのだろうか?


なんて屁理屈だろ?って言われそうだね
屁理屈しか言えない私なのに何を理論建てて話して欲しいのか?私へは期待しない方が良いと思う。
もう思考は別な方へ向いてしまったから
タイトル書いた時の感情はどんなものだったのか…なんて、同じようには出来ない。

人はそれを繰り返し生きてる
気付かずに同じことをしていると思い込み生きている
記憶がパーフェクトに一分一秒まで鮮明に覚えてて、細胞の分裂や呼吸の仕方も心拍の速さも何もかも全く同じことを繰り返してみて欲しいなんて言われてもできないだろう?

それと同じ
私は私の思考をひとつのところで固定させそれを継続することが出来ない。
それだけなんだ…


ってどういうことなんだ?
結論、バカという機能が発達していると言うことなのだろう…これを書いたことも明日の朝には記憶の彼方で、何を書いたのかなんて思い出そうとしても簡単には思い出せないだろう。
無責任と言われようとも仕方がないと思う。
でも、私はそうやって前に進んでいく

最近の私は色々なタイミングで瞑想をしてしまう。すっと息を吸い、ふと止めて吐く。その瞬間に集中しては集中を解きまた日常へ戻るを常に繰り返している感じだろうか?

断片的な思いの欠片を拾い集めては
また別な思いへと繋げていく
その繰り返し

私が特殊と言うよりは私がバカというだけ
バカってなんなんだろうか?

キリがない…愚問ε-(´∀`; )やれやれ


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