2.女教皇のカード


個性や特徴は宇宙的な地図のなかの特定な位置づけ

手元の書物トーラ(立法)は身体の中に埋め込まれた遺伝的な情報

宇宙にある全ての物質は今までのものを記憶する性質がある。

シュタイナー曰く、鉱物は土星期の記憶を保っている。最も古い記憶が物質の中に沈着。

物質は鉱物質を借りて、エーテル体は植物質、アストラル体は動物質の影響を借りている。

アリストテレス的な振動密度で分類したところの人間、哺乳動物、無脊椎動物、植物、鉱物、金属といった連鎖はより低い次元のものは古い歴史を保管している。

それ自身がゼロポイントなので、本人は自身の個性(家系的個性・魂的個性)とかを意識しているわけではないが、他人から見るとはっきりとした個性があって、個性や癖というような傾向性が見られる。

宇宙は過去から未来まで完成されているという考え方を採用した場合、何もないところから何かを作り出すというのは不可能で、オリジナルな新しいものはなくて、女教皇の持つ潜在的な資質、アカシックのどれかを取り上げてアクティベートしていく。すでにあるものを組み合わせていく。

本人そのものを本人は意識しないということから、じぶんらしくなにかやろうとしてもさっぱりわからない。

女教皇は潜在的な資質とか可能性の宝庫。ただ、女教皇そのものはそれにスイッチを入れる力は持っていない。

観察対象者の中に自分も組み込まれている。

主体と客体が組み合わされて客観意識が成立する。観察対象の中に観察者の自分も組み込まれているので、読み取る側によって内容が変わってくるのが客観的事実。

より深い根本的なところでデータが引き出せるかというのは、その人自体の組織がちゃんと中央の柱で真っ直ぐ通っているか?による。

人間は自由だと言った時に、より大きなコスモス、宇宙から孤立しない限り達成することはできない。孤立してしまうと遠くのものが見えなくなる、ビジョンが狭く個人的なものになる。遠くのものが見えなくなるとあたかも自由であるかのように感じられる。

エーテル的な視界を取り戻すとビルの裏側とかもリモートビューイングと同じような感じてビルの裏側とかが見えたりする。時間とか空間の幅とか認識力が大きくなっていく。

エーテル体を取り戻すと視野が大きくなっていくし、さらに次のアストラル体と自我というシュタイナーの階層でいうところの4つの階層、物質体、エーテル体、アストラル体、自我という生命の樹の4つの樹に対応している。 古代、大昔、13000年前に切り離して人間の自由を主張したという経過があると言われている。切り離す前のより根本的、源流的なところと繋いでいくとより視野が広がっていく。そうすると自分の未来がわからなくてお先真っ暗という状態にはならないと思うのですが、同時に自由も感じられなくなる。

小さい視点、狭い範囲内で考えれば自由。より大きな領域、上位のものから考えれば固有のもつ個性、大きい領域においてはどこから生まれてきたか?という根本的なルーツがあって、宇宙的な根っこという観点からすると自由はなくて、その人の本性というものをそのまま発揮しないといけないというような状況。

自由主義とはより小さなところに目を向けていって、大きなところとは切り離している、知らないふりをする、完全に忘却していく。

自分が思ったと言うのはそう思わされたという事。自分が手を伸ばしている時向こう側からは手を引っ張られている。

準備を整えて待つしかない。
振動密度の低いものは高いものが降りてきたときに抗うことができない。自分がそう思ったと言うのはありえなくて振動密度の高いものからそう思わされたと言う事。

女教皇のリファレンスは右に左に揺さぶられて中央の柱である0ポイントが意識される。


松村潔、音声ファイルより

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