けさは

とっても気持ちがいい。

5・皇帝のカードの松村先生の音声ファイルをまとめているけれど、どこも興味深い内容ばかりで端折るところがみつからず、かなり長引いている。ゆうべは頭が朦朧として眠りについたが(途中お風呂に入ったが、記憶が遠くなり気が付いたら1時間近く湯舟に入っていた。)朝目覚めると、夢でいろんなサポートを受けれたのか、リフレッシュして聴くことができるまでに回復していた。あーおもしろいーとのめり込んでいく感覚がリカバリーのサインだな。

この音声ファイルは7年前に一旦しっかり聴いた時期があって、それからは車の中で流して聴いたり聴かなかったりみたいな感じだったのだけれど、いかんせん高度な内容なので部分的にしか理解していなかった。それが、今回文字を拾っていくうちに全体の大枠というか意味が繫がったのだ。

松村先生の著作の背後に流れている柱というか強いメッセージには一環としてブレがない。きっと理解不能ながら、このメッセージに惹きつけられている読者の一人なのだと改めて気づいた。

霊感とか、エーテル体をみるとかそんな能力がちっともない私にとって、正直、このような世界に惹かれていたとは言い難かった。それなのに、時折襲ってくるじんましんのような拒絶反応をこらえるというか、だましだまし続けてこられたのは先生の人間理解の深さからくる温かさや包容力のおかげだったのだと今ならわかる。

未知のものを追いかけるとは、既存の知識や肉体感覚にないものを足掛かりに進んでいくようなとめどもない行為なのだ。こんなわけわからないもの、もっとわかるように書いて欲しい!!と喚いていた時期は長かった。

この場に及んで、このタロットカードという素材の中にこんなに絶妙にちりばめて、このような切り口で語りかけてくる。私のような理解の遠い者にもわからせてくれる知識の厚みと探求心、筆力にはここまでできるなんて凄すぎるんじゃないか?、に変化した。

松村先生、ごめんなさい。理解力のないわたしの問題でした、と。

この分野を既知のものとしていく行為はいかなるものか?というものには身をもってだいぶ慣れ親しんだ(暴れまくった)方だと自負する。先生のように賢く、寛容になれるか?当然ながら、先生はそんなこと、100も10000も承知の上である。

うーん。なんかそういうの好きだなー、まだうまく言えないけど…


こんなことに集中していると、なにかしていても、0.02秒くらいの印象が入りこむことがあって、それがなにを意味しているのかはわからないのだけれど、胸にあたたかい、ほんのりとした安らぎと安定をもたらしてくれる。そこにひとりだとか、さみしいなどというようなものは一切感じない。これは、四六時中この活字を追い求めるうちに、偶発的な発見に行きつきそのことに夢中になってそのストーリーの中に入りこむ。また、読み進めていくうちに新たな、それはわたしが探していた知りたかった答えであり、未来につづく目の前の道が連なっていく充実感を感じています。

もっと早く知りたかったな、と。今まで私と思っていたわたしと、じつはこれからわかってくる本当の私、はまったく違うものだということ。こうやって、ほやほやの炊き立てのごはんみたいな湯気をともなった生まれたての意識の湯気が消えないうちに文字にしたためるという行為は目の前がスッキリして気持ちのいいものなのだと。

子どもの頃、両親に連れられてスキーに北海道や鳥取の大山へ行ったときのひとり真っ白な銀世界の冬景色に佇だときのような感覚が後味として残る。

もしかして、これを続けること、こそが命乞いのインディアンだったのではないのか?

一旦、これを仮説として進みたい。

支えてくださった方々、アゲハ、スン、ありがとうございます。

なんか胸がちくっとした。

この時折胸がちくっとしたりしめつけられる感覚は、悟空の頭につけたわっかみたいな送受信機やお守りとして用意されているのか?

とかく雲の上を歩くような感じ。

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