三浦春馬Birthday花火大会を見てもらいたい人がいます

私が参加している春花pjは
2023年4月5日に仙台市若林区で
「三浦春馬Birthday花火大会」の開催を
目指して奮闘中です。
花火大会のタイトルからその目的は
言わずもがなですが
個人的な話をすれば私は
「三浦春馬のため」などとは
1mmも思っておりません。
春馬さんのお誕生日をお祝いしたい
「三浦春馬」をどんなカタチでもいいから残したい
単純にこれが私の思いです。
だから春馬さんが空から
見下ろしてくれるといいな
なんてことはさすがに
ちらりと思ったりもしていますが……。
実は私には春馬さん以外に
仙台で上げるこの花火を
見てもらいたい人がいます。
それは、うちの子どもたちと同世代の人たちです。

3.11
あの日うちの子どもたちは12歳と9歳でした。
東北から遠く離れた関東でも
これまで体験したことのない大きな地震でした。
いつもなら一瞬で終わる揺れが、
それはそれは長く続きました。

ただ事ではない。
地震の詳細など何も分からなくても
それだけは分かりました。
過保護な私は、すぐに学校に迎えに行きましたが
なぜか集団下校するからと
集まった親たちは帰されました。
毎年無駄に行われている引き渡し訓練は
本当に無駄だと確信しましたw

すごすご帰宅し、子どもたちの帰りを待ちました。
集団下校のはずなのに
なぜか娘が先に帰ってきました。
娘はドアを開けるなり
わーわーと泣き崩れました。
怖かったのだろうと思います。
それでも6年生だった彼女は泣いてはいけないと
集団下校の先頭を歩いていたのだと思います。
我が家の被害は写真立てがポテッと倒れただけです。
それでも娘にとっては相当の恐怖だったのです。

では、仙台の、東北の、子どもたちは……。

5月に東六郷コミュニティの下見に行った際
グランドだけが残された東六郷小学校を見てから
その気持ちがずっとあります。
あの日小学生だった
仙台の、東北の、子どもたちも
成人されています。
でも彼らが過ごした10数年という時間は
うちの娘たちのそれとは
違うのではないかと思うのです。
大切な人を亡くしたかたもいらっしゃるでしょう。
思い出の詰まった自宅を失ったかたもいらっしゃるはず。
なにもかも無事だったとしても
あの日の恐怖は、うちの娘の比では絶対にない。
きっとうちの子たちなんかよりも一回りも二回りも
器の大きな人に成長されていることでしょう。

彼らを元気づけるとか、彼らを労うとか
そんなことではないです。
そんな偉そうな気持もちょっぴりともありません。
なんとなく
ただなんとなく
ただただなんとなく
そんな彼らと一緒に花火を見たい。
それだけです。

「三浦春馬Birthday花火大会」は
春馬さんのお誕生日をお祝いする花火に
間違いはありませんが
東北で、仙台で、若林区で上げる意味を
しっかりと胸に刻んで進みます。




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