自動車税の使われ方

 最近の物価高には驚かされる。つい最近まで100円だった卵は240円。120円だった牛乳は200円。100円だったキャベツは200円。鳥インフル、原材料の高騰、円安と原因はいくつもあるが、私たちの生活費が高くなっているのは事実である。主婦は、家計の見直しをし、固定費で削れるものを削り、生活費を節約し、メルカリで断捨離した物を売り、必要な物はメルカリで買う。一昔前まで中古市場、リサイクルといわれ、なんとなく毛嫌いされていたのに、今や王道だ。
 国民がこれほどお金を大切にしている中、国はどうなのだろうか。節約をし、涙ぐましい努力をしているのを尻目に今まで通りの経済をしているなんてことはないだろうか。
 余計なお世話であるが、勝手に仕分けしようと思う。
 ガソリン代が高騰し、岸田総理は補助金を出すと何回も会見している。しかし、そもそも半分税金だ。私には、国民に寄り添う自作自演に映って仕方がないが、ひがみだろうか。
 自動車で納得いかないのが、自動車税だ。車を購入する際に、自動車重量税などが必要なのは理解できる。しかし、なぜ毎年自動車税を支払わなければならないのだろうか。自動車の所有権は、個人にある。それなのに、所有し続けるためには、毎年自動車税を払う?約9兆円にもなる自動車税は、道路を整備したりする費用とするらしいが、都道府県に任されている。つまり、使途が透明のようで、透明でない。どの道路の修繕が必要か何を基準に誰が決めるのだろうか。すべてルールで縛るのはよくない。しかし、日本は道路を整備し、高速道路を作りために、土木工事を国家予算で民間企業に発注することで発展した歴史がある。長野県は土建王国といわれてきたのが典型だろう。その過程では談合があったり、癒着があったりという歴史がある。現在、自動車税の使われ方がクリーンであるとすぐに信頼している国民がどれほど存在するだろうか。9兆円もの財源を仕分けする必要がある。使われ方を検討する必要がある。
 私は、都道府県の裁量に任せるのではなく、管理する部署を作り、自動車税を一括して管理してはどうだろうか。その資金は、毎年使うのではなく、震災があった時にまとめて使う。近い将来首都直下型地震がくるといわれている。日本は地震国家であり、どこで起きてもおかしくない。富士山も噴火するかもしれない。その際、莫大な費用が必要となる。そのために溜めておくのであれば、国民は納得するだろう。いざという時に国債を発行するのではなく、貯蓄する。
 そう考えると、道路は誰が整備するのか、費用はどうするのかの問題が発生する。これは各都道府県が独自に仕分けをし、節約をし、費用を捻出する努力をしてみてはいかがだろうか。あるいはクラウドファンディングをして、この道路を補修したいと公表してはいかがだろうか。お金は天から降ってくるのではない。自らの手で作り出すことを公務員の方にも理解してもらい努力する時代ではないだろうか。

#お金について考える

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