ウツという犬についての裏話。

私は鬱病を患って15年になる。先日公開した『吾輩は犬である。名前はウツ。』についての裏話を書こうと思う。

鬱病を発症してから10年、私は鬱を「立ち向かうべきもの」とか、「乗り越えるもの」と考えていたため、私は鬱そのものに姿を捉えてはいなかった。時々声がして(と言っても幻聴ではない)私を精神的に追い詰めようとするのだった。様々な声を出し、私の命をあの手この手で狙うのだった。家族、教師、友人の声もしたが、特に多かったのは私自身の声だった。

そこから今から3年前、私は療養に入ることになる。仕事を辞め、家事なども週に数回支援を受け、定期的に訪問看護を受けている。完全な自宅療養だ。私の場合、先に述べた10年間で四回ほど再燃・再発を繰り返しているので完全に慢性化してしまっている。15年を超えた今、私にとって鬱病は立ち向かう敵でも、乗り越える壁でもなく、愛すべき隣人なのだ。というか、愛しもせずいがみ合って、これからやっていける訳があるだろうか。

だから私は鬱という病を何らかの姿に見立てて、愛することに決めたのだ。初めは「鬱という病の姿」を考えるにあたって、初めは鎌を持った死神であるとか、スーツ姿の髪も眉毛もない白人であるとか、そんな姿を思い描いたが、どうも大きすぎる。猫は……気まますぎる。馬は賢いが……むしろヒトよりも大きい。犬……そう、犬がいい、黒っぽい犬で、賢く……目が合わない方が良い。目と耳の辺りを無くして、断面を黒いもやで覆ってしまおう。背中の黒い部分の模様は覚えられやしないんだ、背中の正中線で線対称に黒い模様が(ウォッチメンの)ロールシャッハみたく、ゆっくりと動くことにしてしまえばいい、そんなことを考えた結果、目と耳のないボーダーコリーの「ウツ」が居るのだ。

そうしてイマジナリーペットのウツとの生活が始まった。その結果が、およそ『吾輩は犬である。名前はウツ。』と言う形になっている。この記事を書いている間にも彼は私の膝の上に横たわっている(=私はトイレに行くのも億劫で、椅子から立ち上がることを異常なまでに憂鬱に感じている)し、時たま「オヤフコウモノ、ホウトウムスコ」と鳴く(=私自身の悩みではあるものの執拗にその思考をぐるぐるとさせてしまう事は鬱の症状である)のだ。そして頓服を飲めばウツはおやつをもらって満足でもしたかのように大人しくなる。夜になれば私を寝かすまいとして枕もとを跳ね回る(=元来、不眠を患っている人間は「睡眠に向かう意志」が弱い上に、横になると思考が取っ散らかり始め、上手く眠れなくなる)。睡眠導入剤が効いてくるまで彼の遊びを無視して横になるのだ。そうして私は、不吉な予感に顔を舐められて朝の五時に起床し、うんざりとした気持ちで二度寝に失敗し、一日を始めることになる。そんな日常を、これからもウツと共に過ごしていこうと思う。

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