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【必読】大反省しました。「知る」ことの意味


こんばんは。
ソフィー優美です。


最近の学びと、
めちゃくちゃ重要なことに気づいたのでシェアします。

私のnoteでは

大好きなお芝居に通づることや
現在プロデューサー見習いとして携わっている
映像制作の現場や日々の仕事を通して感じたこと・学びを載せています。


今日の話はどんなことにも通じる超大事な話だから全員に読んで欲しい。




先日、上司に言われました。


「脚本書いて」

「は、はい!」


全然書いたことないし
書き方も全くわかんないけど

とりあえずなんでもやっちゃお!みたいな精神で一辺倒な返事をしちゃった私。


とりあえず書くぞ!!と気合いを入れてまずは書いて、提出してみました。


そしたら
フィードバックでいただいた一言。


「ボクシングのこと、知らないでしょ?」

チーン。

「はい。すみません…」



そう、
私は面白いと思って

安易に思いついたボクシングの要素を入れて脚本を書いて提出してみました。


けれど大してボクシングのことを知っているわけでないし、
その脚本の中での大きな意味をもたらすわけでもないような内容で
薄っぺらい流れで書いてしまってました。


あ〜、しまった…


とても反省しました。
非常に安易な選択をとってしまった自分が恥ずかしかったです。

大人を相手に誤魔化しは全く効かない。
誤魔化しているつもりはなくても、そう見えてしまうととても痛い。

自信を持って相手に勧められるほどのものを書いていくべきでした。



そして気づいたことは

「知る」を再定義しなければならない

ということ。


この現象はどんなことにも通じる。


しかも、
誰にでも起こりうる危険なこと…


そういえば、
お芝居でもめちゃくちゃよく言われることだな、と。


詐欺師を演じるなら、
詐欺師を「知って」いるか?


知らないとできない。


なにより、「知る」ということの意味を
自分の中でしっかりと咀嚼できているか?



これが何よりも大事なことだと気がつきました。


お芝居は感覚的な部分や
言葉に表すのが難しい部分が沢山あって

その様々な要素が

言葉に"圧縮"されてしまうから

そこを理解できないことが多い。


まず、
脚本でもお芝居でも


「それである理由」がすごく大事。


だから私が
「ボクシング」のことについて書くなら
ボクシングのことを誰よりも「知って」なければいけなかったし、


俳優として役を演じる「ボクサー」役なら、
だれよりも「ボクサー」でなければならない。


主人公がボクシングをするなら、
ボクシングでなければならない理由が必要なわけです。



そんなこと分かってるよという人がほとんどかもしれないけれど

それを本気で「実行」できた人が勝つと思う。



ではどう実行するか。  


私なりのアンサーを
ひとつずつ深掘りして書いていきますので、

ここまで読んで、
もっと知りたいと思った方はぜひ最後まで読んでいただければと思います。

読むだけで明日からの毎日がパワーアップします!



では、
Let's start.



1.「知る」を定義する




まず、
「知る」について定義する必要がある。


そもそも定義したことがある人が少ないかもしれないし、定義している人はそれを見直す必要があるかも。


自分に問いかけてみた。

私にとって

「知る」とはどういう意味?



俳優なら、

その役を「知る」ってどういう意味?


・インターネットで調べる
・本を読む
・ドキュメンタリーを見る
・その人物、役の歴史を知識として身につける
・友人に話を聞いてみる
・映画やドラマを参考にする



リサーチのいろいろな方法を思いつく。


けれど

「知る」の定義によっては、

これだけでは足りないということに気づかないといけなくて


(足りないという言い方には語弊があるかもしれませんし、これを全てやる必要もなくて)


自分が最大限に力を発揮できる方法を実行すべき


俳優なら、自分がその役を
「生きれる」方法を実行することです。


上記を「知る」という定義にした場合、
足りない理由として、


脚本家やプロデューサーが求めている役を演じることが難しい場合が多いから。



なぜなら、前半にお話したように

私がボクサーを知っている前提で書いた脚本は

上司から見て「知っている」ではなかったから


この差が生まれるのは


「知る」を自分の中できちんと定義できていないことと、
それを実行できていないことに問題があって


定義できているならば、あとは実行できるまで繰り返し練習したり、努力をする方向性を見つけることができる。


定義するときに大事なのは


誰が見て「知っている」か、です。


自己満のものを作っていくなら誰が見るかなんて関係ない。
自分の中の「知っている」でいいと思う。


でも、世の中の何かしらに向けて

見てもらいたいものがあって

それに対して評価をされたいなら

別の視点を意識する必要がある。

ものさしを間違えてはいけない。



じゃあ、
「知る」に近づくために
何をすべきか…?


2.体験すること



手っ取り早いのは体験すること。

そっち側に行く、ことです。




私は俳優として現場に出たことがないけれど

制作側で作品に3ヶ月入ったことで

視点や基準、価値観

何もかもがガラッと変わりました。


これは
思い切ってそっち側に行くということを実行したからだと思う。



ギャンブラーの役なら、ギャンブルをやってみる。パチスロにいく。



ヤンキーの役なら、いかにもヤンチャそうな派手な格好をして電車に乗ってみる。周りの反応を見る。




私がボクシングの脚本を書くためにすべきことはボクシングジムに行くことだったかもしれません。(例えばの話ですが笑)



有名な俳優さんたちが地方クランクインの前に数ヶ月そこに住む 

とかもよく聞く話だけど、
きっとそういうことなんだと思う。




知り合いの女優さんで、

風俗嬢の役のオーディションを受けるために
風俗嬢の面接に行った人を知っています。


「風俗嬢に話を聞く」

を「知る」だと思っている人よりも一個上の


「風俗嬢として面接に行く」を選択した。



「知る」の定義の差とその先にある「体験」の差がここにあることに気づきました。



時間も労力もかかるけど
足りない方法で進んでいては遅い。



体験することが1番だと知っている人は強いと思います。

そして知ることと体験することの設定を一個上のものにできると、進むスピードの質はどんどんあがる。

その分自信もきっとついてくる。


私も今後はなるべくその選択を選んでいきたいと思う。


3. 最適解を構築する



一個上の設定を選択し、実行したあと、見えてくるものがあるはず。


そのときはじめて


最適解を構築する作業に入っていける。



つまり、オリジナル。


色んなことを調べて、体験して、
本当の意味で「知って」はじめて、
自分の色を足すことができる。


最後に自分なりのものを作っていけたらきっとどの人よりも突き抜けられるんだろうなと。


思い返せば

受験の時だって、そうだった。


勉強も必死にやってるのに成績なんか全然伸びないし、隙間時間で単語帳読んでるけど到底頭に入らない。


そのとき気づいたのはまず、みんながどうやって勉強してるか。


クラスで成績がトップの子の机に行って、

「どうやってノート書いてるの?」

って見に行ったし、


大嫌いな数学の授業のときは、

「先生、1番前に座らせてください」

って言いに行って、

聞きたいことがあれば毎回毎回先生にすぐ聞ける距離に居るようにした。


その「知る・体験する」作業をした後に、真似してノートを書いて勉強したり、先生に言われたことを忘れないようにして勉強したら成績も上がって行った。


習い事で全然勉強する時間がなかった時も、期末テストは全教科9割近く取るようになってた。


気づいたら、

「わからないを残さないだけで足りる」

と気づいたので塾にも行かなくなったし、

「こうやった方が効率がいいな」

と自己流のやり方を生み出したりもしてた。



あ〜、
苦手なんじゃなくて
できないんじゃなくて
やれる能力がないんじゃなくて


「知る」を
「知らないだけ」なんだな、と。


はじめにも書いたけれど
これはどんなことにも通じることだと思う。


だからみんな、

「知る」を再定義すべきだ


今の私はまだ要領も掴めてないし

やる作業の速度だって遅いけど

「知る」の意味をわかれば、

きっといつかそこに辿り着ける。


「知る」について自分の中で考察したら

強みを生み出す「最適解を構築する作業」

まで辿り着ける気がしてきました。



実行するところまで頑張ってみよう、

自分が最大限に力を発揮できる方法を。




まだできない自分も、

いまは信じて前に進もうと思います。



今日も走るあなたの隣を

私も一緒に走ります。


本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!

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感想を頂けると今後の参考になります^^


Thanks for reading folks!!
Stay tuned;)


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