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政府が憲法改正をアピールする。その意味とは?

そもそも憲法とは何か?

1947年5月3日に施行された日本国憲法。言わずと知れた、国民主権、基本的人権尊重、平和主義の3大理念を謳った日本の基本法です。

さて、憲法とは如何なる法律か。あなたは明確に答えられますか?

多くの方は中学校の社会(公民)で、子女に教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務といった事を学んだでしょうから、憲法とは「国民が守るべき義務」と考えている方も多いと思います。
しかし、その認識は誤りです。

憲法とは「為政者が守るべき義務」を定めた法律です。為政者の権力に歯止めをかける事により、我々市民の基本的人権及び自由を保障しているのです。

仮に為政者に全ての権力が集中すれば、あらゆるものが為政者の意のままとなります。つまり恣意的に法律を制定でき、それを自由自在に運用でき、そして気の赴くままに人を裁いたり徴税したりする事ができる。為政者が気にくわない者を勝手に死刑にするという事も可能なわけです。
かつて中世イングランドのジョン王施政下において、為政者(王)は法によっても束縛されないという専権的状態でした。かかる状況に不満を持った貴族や諸侯は王の権力に歯止めをかけるべしと主張し、その結果制定されたのがマグナ・カルタ(大憲章)です。これは世界で初めて法治主義を謳った基本法と言えるものであり、まさに(近代)憲法の原点と言えるでしょう。ヘンリー・ブラクトンによる「国王は何人の下にもあるべきではない。しかし神と法の下にあるべきである」という言説にそれが象徴されています。その後、所謂市民革命を経てトマス・ホッブズ、ジョン・ロックといった啓蒙思想家達が登場し、国家のあるべき姿や「権力とは何か」等について模索していくという「政治思想家の群雄割拠」という様相となります。彼らの思想はやがて立憲主義権力分立といった諸制度の原点となり、その影響はイングランドのみならず周辺諸国にも波及していきます。

権力分立を提唱したのはジョン・ロックやジェームズ・ハリントン、シャルル・ド・モンテスキュー等ですが、その趣旨は以下の通りです。
国家機関に全権力が集中すると、権力が恣意的に濫用され、市民の自由や権利が侵害される危険性があります。そこで国家の機能を複数の機関に配分し、抑制と均衡が保たれるようにする必要が出てくるわけです。とりわけ「立法権」「行政権」「司法権」の3つに分けた「三権分立」が有名です。

日本国憲法も三権分立を採用しています(尤も、行政権たる内閣は国会の信任に基づくものであり、また国会は「国権の最高機関」とされているので厳格な三権分立とは言えませんが)。したがって、権力分立(三権分立)を採用している以上、日本国憲法とは国家権力に歯止めをかける基本法であるというのは自明の理と言えるでしょう。決して国民を縛り付けるための法律ではないのです。それどころか日本国憲法第99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定されており、義務の対象として国民が除外されています。つまり国民に憲法を守る義務は課されていないという事になります。尤も、第12条では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定されており、その意味では国民に憲法維持の義務があると言えます。また、先に上げた国民の「三大義務」は象徴的/理念的なものを掲げた「プログラム規定」的なものです。たとえば、第27条(勤労の義務)を根拠として国民に強制労働を課す事はできませんし、第30条(納税の義務)についても個別の法律の存在を以て初めて義務化されます(つまり憲法が直接国民に対して義務を課しているわけではありません)。

改憲を主張できるのは誰か?

先に述べた通り、政府は憲法によって歯止めをかけられる存在です。そうする事によって我々市民の基本的人権や自由が確保されるわけです。
昨今、憲法第9条を始めとした「憲法改正が必要」という主張が見られますが、私は明確に「改憲反対」の立場です(第9条よりも、自民党改憲草案にある「緊急事態条項」が問題なのですが、ここでは触れません。後に詳しく取り上げる予定です)。尤も、私は「改憲自体を何が何でも否定」という立場ではありません。時が経つにつれて社会も変わり、憲法の条文が古びていくという事もあり得るでしょう。その際には「改憲以外の方法がない時に限り」改憲して「脱皮」する、という事も必要でしょう(国民主権、基本的人権尊重、平和主義の三大原則の改変といった「日本国憲法の否定」とも言えるような改悪は断じて認めませんが)。
さて、日本国憲法第96条第1項では「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と規定されています。発議権者は国会であると読めますが、この事を以て政府が改憲のイニシアティブを持つと捉えるのは妥当でありません。理由は以下の通りです。

1:国会は国民代表機関。つまり発議権の最終的な根拠は国民にある。改憲発議のためには選挙での公約とした上で十分な民意を得る必要がある。
2:改憲の最終決定は国民投票による。

以上見たように、改憲のイニシアティブは国民(市民)です。それ以上でもそれ以下でもありません

にもかかわらず政府が民意を無視して「改憲の議論が必要」と主張するのは、ルールを課される側が「当該ルールは不都合だから変えるべき」と言っているという事になります。例えるなら、サッカーの試合中に選手がいきなり「足だけではやりづらいから今から俺に手を使わせろ」と言い出すようなものです。以前、安倍晋三がとある番組に出演した際に「日本国憲法はみっともなくいじましいもの」という趣旨の事を言っていましたが、憲法を「国の理想を語るもの」だと思い込み、且つ為政者にとって都合が良いように変えても良いと考える事の方が、余程みっともないのではないでしょうか。

参考文献
⭐️芦部信喜著/高橋和之補訂『憲法』(岩波書店)
⭐️佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂)
⭐️安西文雄/巻美矢紀/宍戸常寿『憲法学読本』(有斐閣)

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