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「平和を嘲笑」する事の意味

立憲民主党の山岸一生議員によるツイートによって、自由民主党議員の驚愕すべき認識が判明した。以下のツイートがそれである。

衆院本会議で代表質問に出席していました。カルチャーショックだったのが、共産党の志位氏の質問に対する、一部の自民党議員のヤジの「下品さ」。
例えば、地域課題の平和的解決を語ると「出た!平和」と笑い飛ばしたり、辺野古建設の断念を求めても「えっへっへっへ」と大声で笑ったり。
国会の劣化を目の当たりにするようで、とても残念でした。
私は、議論を活性化させるヤジは否定しません。自分も最前列から「それは違う」との思いで声を上げることはあります。でもここは国会です。相手への敬意は当然だし、見ている国民の皆さんにも恥ずかしくない言動をしてもらいたい。
(※2022年1月20日のツイート。連投ツイートであり「続く」といった記載があるが、ここでは省略する等の改変を加えている)

国会内の様子についてツイートしたものだが、凡そ「国民の代表者」たる国会議員のものとは思えない醜悪な野次である事がよく分かる(ちなみに現時点において野次をした議員の氏名は明らかになっていない)。「出た!平和」というのは、言ってみれば「平和を揶揄/冒瀆」する趣旨のものであり「日本国憲法」における「三大原則」の1つである「平和主義」に対する冒瀆/嘲笑である。それどころか「日本国憲法の基幹的原理」に対する叛逆と評しても差し支えないであろう。
「日本国憲法」における「三大原則」は、それぞれが独立して存在しているわけではなく、これらは相互に関連し合っている。まず、日本国民が「主権者」として国政に参与するのは究極的には「基本的人権の保障及び自由の確保」のためであり、更に国民主権、すなわち日本国民が「主権者」として国政に参与するためには平和が確保されていなければならない。換言すれば、国民主権は基本的人権保障の「手段」であり、平和主義は国民主権の「前提」である。してみると、日本国憲法において「平和主義」とは三大原則における「基幹的原理」と言えよう。つまり、先に挙げた自由民主党議員による「出た!平和」という野次は「日本国憲法における基幹的原理を愚弄する発言」であり、且つ憲法第99条における「憲法尊重擁護義務」に対する叛逆である。
ところで、ドイツ連邦共和国基本法においては「戦う民主主義」という理念がある。これは「憲法の基本理念を否定する形で権利を行使した者は基本権を剥奪される」というものである。同法第18条に具体的内容が規定されているので、引用してみよう。

ドイツ連邦共和国基本法第18条:意見表明の自由、特に出版の自由(第5条第1項)、教授の自由(第5条第3項)、集会の自由(第8条)、結社の自由(第9条)、信書、郵便および電信電話の秘密(第10条)、所有権(第14条)または庇護権(第16a条)を、自由で民主的な基本秩序に敵対するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。それらの喪失とその程度については、連邦憲法裁判所によって言い渡される。(初宿正典/辻村みよ子編『新解説 世界憲法集』より)

ここで言う「自由で民主的な憲法秩序」とは、言ってみれば「基本法の理念」である。つまり「基本法の理念を否定する形で権利行使をした者は基本権を剥奪される」という事である。日本国憲法においては明文で「戦う民主主義」について直接規定した条文はないが、第12条の解釈によって「日本国憲法の基本原理を否定する権利行使をする事は許されない」という命題を導く事ができるのではないだろうか(尤も、それによって基本権の剥奪ができるか否かはまた別論であるが)。引用してみよう。

日本国憲法第12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「平和主義」を冒瀆する事は、それを土台として成立する「国民主権」「基本的人権保障」をも冒瀆するに等しい。すなわち、先の自由民主党議員は「国民の自由及び権利」の「敵対者」という事になるであろう。加えて、当該議員は国会という「国政における議論の場」において「日本国憲法の基幹的原理を嘲笑/冒瀆する」という形で濫用的に意見表明を行ったと言える(しかも国会議員は憲法第99条によって憲法尊重擁護義務が課されているので尚更性質が悪い)。私は「勤労」「納税」「子に対する普通教育の付与」という所謂「国民の三大義務」に加えて、第12条の「国民による自由と権利の保持義務」及び「権利行使の濫用をしない義務」、更にここから派生する「為政者に憲法を遵守させる義務」を主張するものであるが、当該議員は「権利行使濫用義務違反」という事になる(これは公務員であるか否かを問わない)。仮に先に挙げたドイツ連邦共和国基本法第18条を適用すれば、問答無用で「基本権の喪失事由」となろう。
日本国憲法前文においては、はっきりと「平和主義」「平和的生存権」について謳われている。引用してみよう。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(日本国憲法前文第2段)

第2次世界大戦による惨禍を経験した反省から、2度と戦争を惹起させないために、日本国憲法前文において「徹底した平和主義」が謳われている。そして前文は「憲法の趣旨/目的/基本原理」を述べたものである(そのため前文を改変する事は「憲法の改正の限界」を超えるものであり「日本国憲法の破棄/新憲法の制定」と言えるであろう)。この事を踏まえても「平和主義」が「日本国憲法における基幹的原理」である事が確認できるであろう。その意味で、先の自由民主党議員による「出た!平和」という野次は「日本国憲法における基幹的原理」を全否定する発言であり、到底許されないものである。「出来心」で片付けられるといったレベルの問題ではない。

参考文献

⭐️芦部信喜著/高橋和之補訂『憲法』(岩波書店)
⭐️長谷部恭男『憲法』(新世社)
⭐️野上修市『新解釈日本国憲法』(東京教学社)
⭐️初宿正典/辻村みよ子編『新解説 世界憲法集』(三省堂)


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