対アンチ論 健全な精神を保つための、ワンクッション。
めっちゃ長文の始まり:(;゙゚''ω゚''):
これからのアンチの話をしよう……とかなんとか、賢者を気取りたい。でも、アンチについて語るのは、とても難しいものがあります。
一つ目の理由としては、僕の立ち位置です。
自分ではアンチに関して客観的に語りえる立場にないことを最初に明記しなければなりません。
客観的かつ公平公正な識者とは程遠い、当事者意識の塊。
この点で、率直に言えば、『アンチ』に対し、『クリエイター』としての自分は主観的な立場において『被害者側』に共感を抱いています。
二つ目の理由も添えておくと、僕は争いに火を注ぎたいわけでも、積極的に殴り合いたいわけでもなく、ただただ平穏な創作環境が望ましい……という『衝撃緩和』の立場からこれを書いています。
従って、客観的なアンチ論でも、即効性のある解決策のご提案でもなく、こうすれば『少しはマシなのでは……?』ぐらいの論になってしまう。
『アンチIS不倶戴天! 自分はアンチによって剣が峰に立たされる……、奴を倒さなければ、平穏などあり得ない!!!!』などという、鬼気迫る立場の方や、憤怒を抱えた方の需要には応じられません。
今すぐに法廷で白黒つけてやる……とかいう皆様には置かれましては、弁護士先生をお呼びになることを強くお勧めいたします。(名誉毀損案件の本人訴訟は色々と難しいものが)
ご参考までにhttp://xn--zqs94lv37b.club/archives/14398253.html
そういうわけで、あまり役に立たない一般化された概論のようなものですが、心を平穏にするためのあれこれを、ぽちぽちと打ち出して行こうかと思います。
まぁ、長い文章です。そして、ワンクッションぐらいの効能しかありません。
役に立たなくても、ご容赦を(*‘ω‘ *)
①プロイセンに学ぶ、距離感
貴方は、大王パパ(Soldatenkönig)? それとも、大王(Alte Fritz)?
というわけで唐突ですが、歴史の小ネタを。
昔々、神聖なローマとかいう不思議帝国の中に、軍隊が国家を持ったようなこれまた不思議なプロイセンとかいう国がありました。
ご存知、フリードリヒ2世とかいう偉大な変態(大王、またの名をAlte Fritz)もこの国の君主です。
※変態的機動力を誇り、斜行戦術なるどうかしている戦術を歴戦の敵軍相手に成功させ、ついにはロシアとフランスとオーストリア等の相手(合計すると人口8000万)に人口400万のプロイセンを率いて勝ち切った人間嫌いな『大王』です。(晩年は孤独との戦いだったとも)
大王:大の人間嫌い! 犬は友達!
で、この偉大な変態の御父君こそがフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(Soldatenkönig ※以下、大王パパ)です!
※偉大な変態(国家第一の下僕を自称)の御父上として、ヴィルヘルム1世は誠に厳格な統治者であり、無駄を嫌い、兎に角徹底した規則の鬼でした。ヴィルヘルム1世、自分を怖がる臣民に対して『お前たちは私を好きになるんだ!』と真顔で断言したんだとか。
大王パパ:俺を好きになれ!
徹底した人間嫌いの息子(大王)
VS
愛されることを求めた父君(大王パパ)。
うーん、プロイセンの君主は実に極端!
ってなったところで、さて、現代へ。
今日の日本で、クリエイターがヴィルヘルム1世のように『俺を好きになれ』と万人に対して杖を振りかざすことはあり得ないお話。
偉大な変態ことフリードリヒ大王のように、『人間とか、嫌いだ。マイベストフレンドは、ワンちゃんだけ……』と徹底した人間嫌い路線に行く必要もないでしょう。
つまり、普通の個人としては両者の真ん中ぐらいを歩けばOK。
万人に愛されキャラになる必要はないです。万人を嫌う必要もないです。気の合う人がいれば、合わない人もいる。
僕らは、そういう生き物だという前提で論じていくべきかと思います。
→アンチ関係ないじゃん……ってなる方は③へどうぞ。
→めんどうだけど付き合ってやる……と言う方は②へ。
②自由で開かれた言論空間の中における、『アンチ』と『クリエイター』の権利。
※読み飛ばしていただいても特に差支えはありません。
嫌い? それは、結構です。
『アンチ』が僕を好きでも嫌いでも、それはその方の自由でしょう。
或いは、あるクリエイターに対して『好きでも嫌いでも、どうぞ、ご自由に』。
それは、その方の自由です。自由は貴い物。
同様にクリエイターが、アンチに対して『好きでも、嫌いでも、ご自由に』。
原理だけならば、たぶん、ここで終了。
はいはい、お終い、解散でもいいのかもしれませんが様々な権利が衝突するとき、共存を可能とする公平の原理はちょびっと留意する必要があります。
と言うわけで、考えてみましょう
『個人に対する上から目線の決め付け/道徳的糾弾/一方的攻撃』
が
『相応の根拠、一般化されえる道理/相当程度に真実と信じるに足る根拠』
にさえ基づかず
『単純な好悪を、後付けで無理やり合理化した類の言葉』
『(していない場合も多い)』
だったとしたら?
それは、いかなる理由に基づき正当化・擁護されるのですか?
言った当人にしてみれば、『そんなつもりはなかった/軽い言葉だった』のかもしれません。でも、言われた当人にしてみれば深刻な攻撃意図のある『加害的な言説か?』として受け止めてしまいがちです。
なので、受けた側は往々にして『どうして、この人はこんな酷いことをいうの?』というショックに包まれるのはあるある。
暴言や酷い扱いが創造性を削ぐというのも理解できる話でしょう。クリエイターとて、人間です。いわれなき批判を受け、ニコニコと無償のサンドバッグ役を務められる人がどれほどいることか。
勿論、『批判する』=『無条件にアンチ』ではありません。
これは、断じて違う。
アンチの定義を厳密に絞り込むのは難しいですが、自分と意見・好みが違うという一事で否定するのは大変に危険です。
『おかしいと思う』という意見の表明に対して『さては○○○だなオメー』という空白部分に無条件で『アンチ』と入れるのは乱暴にも限度がある。※ちなみに、アンチにはジャガトマ警察を含みえますが、アンチが無条件でジャガトマ警察と言うわけでもありません。
更に言えば、どのような人間にも好きなことを考え、言う権利は認められています。なにしろ本邦には表現の自由があり、更に言えば思想及び良心の自由は、これを犯してはなりません。
というか、突き詰めれば究極的には『アンチ』だって適法である限り何を言ってもいい。(当然ながら、名誉感情を無限に侵害することが許されるとは思いませんが)
まぁ、要するにですね。
アンチもクリエイターも、完全に無制限の自由を行使できる状況にはないと思います(当たり前な結論)。つまり、『クリエイター』側が『アンチ』側を一切合切黙らせうる法的手段もないと僕は思います(※法律の専門家や、法律解釈に関する助言ではなく、素人の主観的な意見であることをここに明記します)。
Q:だから、つまり?
A:アンチが無制限にクリエイターを攻撃することが擁護されるとは思わないけれども、クリエイターがアンチ(ないし、より広く批判的な意見)を完全沈黙させる法的手段もないと思うよ!
だから、クリエイターとしては『アンチは一定数存在すると思う』との想定で進むしかないね! (たぶん)
③何故、傷つくの?
SNSでアンチに噛みつかれたならば、それは、まぁ、御愁傷様です。
でも、往々にして傷つくことの大半は『エゴサーチ』によるところが大なのではないでしょうか。
我々の恐るべき宿命
エゴサーチ。
それは、クリエイターの宿命。
或いは、必然。
というわけで、エゴサーチしてしまうわけですね。
ぽちっとなで出てくる検索結果。
SNSなりグーグル検索なり何なりで、ずらりと並ぶあれやこれや。
ありがたいことに、大変うれしい評価・感想もたくさんでしょう(*‘ω‘ *)
ただ、心を抉りかねない感想とかもあるかもしれません。
(表現の自由の範疇である限り、どのようなご意見・感想であれそれは正当なものです)
でも、なんで、傷つくの?
・貴方の親しい友人が、貴方に暴言を吐いたのであれば、苦しいでしょう。
・貴方の同僚や上司が、貴方を否定していれば、それも苦しいでしょう。
・貴方のファンが、貴方の作品に対して否定的なのであれば、それも実に悩ましいでしょう。
でも、『アンチ』ってなんなの?
ご友人?
お知り合い?
大切なファン?
というか、アンチって『クリエイター個人』にとって、何なのか……と考えると大変に中々興味深いことが分かります。
たぶん、クリエイターは『アンチ』に対してかなり『期待』している。
早い話が、大切なファンと同じぐらいに『自分の作品を大事にしてくれるだろう+その上で、意見、感想をくれているんだろう』っていう信頼です。
信じているから、裏切られると傷つく……( ;∀;)
人がいいですよね。
だから、心無い言葉にグサッとやられちゃうと考えることもできる気がします。
でも、でも、でも。
アンチ全員の情報開示請求を貴方がやったのであれば別ですが、きっとアンチのほとんどはクリエイターとは面識もない赤の他人で、別にクリエイターの作品に対する思い入れはほとんどない方だと思いますよ……?
友人に酷いことを言われるのは悲しいことです。ファンに失望されるのは、辛いことでもあります。
ラーメン屋やってたら、常連さんに『味が落ちたね……』とか言われるようなものです。でも、突然乱暴な態度で押しかけてきて、『サービスが悪い!』とかいう客に『まずい!』って言われても……?
無論の事、できれば、大勢に作品を楽しんでもらいたいというのはクリエイターとして世に作品を問う以上は当然です。
でも、身内でも、同僚でも、ファンでも、それこそ面識すらない人々全員が全員そうなってくれるなんてありえません。
さて、ここで①を振り返ってみましょう。
嫌いだと言われて『どうして愛してくれないんだ!?』とショックを受けるメンタリティになるっていうのはフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(Soldatenkönig)のあれげな逸話と似ていませんか?
それらを前提においても、ショックがゼロにはできませんが。
なにしろ汚い言葉、酷い評価というのは自尊心に対する猛毒です。
自己の創作物に対する思い入れが深ければ深い程、攻撃的な言説から受けるダメージもまた大きなものになるのは言うまでもないこと。
それでも、『あなたに対して、好意を抱いているわけでもない相手からの攻撃的な言説』だという前提知識があれば『そういう人もいる』ぐらいの気構えで衝撃をちょびっとは緩和できるでしょう。
期待しなければ、裏切られてもいたくない……。かといって、フリードリヒ大王みたいに『みんな、僕の事を嫌いなんだ……』となってしまっても本末転倒だとは思いますが。
それにファンや、その道の専門家が特に悪意なく(或いは善意から)、『これ、間違ってるよ』と教えてくださる場合もあります。
自分の不勉強だったり、未熟さが建設的に指摘されていた時は『ぐはっ』ってなりながら、ぷるぷる震えつつも、『問題を認知できれば、解決まではあと半分!』というように前を見るしかないのです! めざせ、圧倒的成長!
(キラキラと輝く圧倒的意識の高さと共に)。
冗談はさておき、大王パパも、大王も極端に見えませんか? 自分とは違うタイプだ……なんて思ってしまうかもしれない。
でも、油断すると人間、どっちかに寄りそうになってしまう自分を見つけちゃうかも。
先ほど①で例に出した際には、『プロイセンの君主はどいつもこいつも極端だな』と思われたかもしれませんが……余裕がない時、視野が狭まっている時はどうでしょう。
『かわいそうな俺、神になるんだろうな...』って呟いたかの有名なウェスパシアヌスみたいに、開き直れる人間は稀有な存在です。
Q:ウェスパシアヌスとは?
A:財政再建のために『トイレ』で財テクしたローマ皇帝。
@トイレじゃなくて、トイレそのもので財テクだ!
※いくら何でもそれはセコいって言われませんか、と息子に言われた時の反論
→Pecunia non olet(金は臭わない)
※有料公衆便所で稼いだ金を鼻先にかざして『臭うか?』と言いつつ。
→この偉業(?)故に、ヨーロッパの有料公衆トイレはかの皇帝に由来して呼ばれたりします。
※i.g. vespasiano, vespasienne
でも、一呼吸入れて。
・大王化していないよな?
・大王パパになってないよな?
みたいに、ちょびっとだけ自分のメンタルを顧みると開き直りへの道が一歩みえると思います(*‘ω‘ *)
④アンチについて知っておくと楽になること。
アンチは『成功の代償』でもあります。
おめでとうございます、プレジデンテ。
実績解除:『アンチ! あのあん畜生め!』を達成されたのですね。
ビバ、プレジデンテ! ビバ、○○ピコ!
貴方は、ついに『アンチ』を獲得されたのです。
アンチ、それは、成功の証明。
輝かしいプレジデンテ……もとい、クリエイターとして勲章と申し上げても差支えはありません。
何故かですって?
答えは簡単です。
『貴方』のことが『嫌い』な人が、『貴方の事を無視できない』ほどに、貴方の創造物・制作物・アウトプットがプレゼンスを獲得したからではありませんか!
もっというと、成功したからです。
貴方が成功したから、アンチが沸きます。
良きにしろ、悪いにせよ、『評判』となっていなければアンチなんて生まれません。
アンチ100、ファン0なんてことはありえません。応援してくれるファンが沢山、アンチちょびっと……というのが実情です。
ですが、アンチゼロ、ファンゼロはいつでもあり得る。
アンチゼロ、ファンゼロよりも、ファン沢山、アンチも少数の方がクリエイターとしての僕は幸せです。
極端な話、好かれたい人々に好かれていると考えれば、アンチにまで意識を割きすぎるは本末転倒な大王パパルート間違いなし。きっと、貴方の息子は女帝マリア・テレジアと戦い始めるに違いません。
冗談はさておき、アンチが生まれることを目標に頑張る訳ではありませんが、アンチが生まれたということは間違いなく貴方が成功しているという明白な証拠です。
大王みたいに、全員が自分の敵……と考えちゃうと後が辛いっす。
ついでにアンチが沸いたのは、貴方個人の責任だと人格をとがめる意見があるならば、適度に反省することも有益でしょう。でも、過ぎたるは猶及ばざるが如し。聖人君子ルートでも目指さない限りほどほどでOKですよ。
モーツァルトにも太宰治にも、ネルソン・マンデラにすらアンチがいる世界で、貴方は大王パパみたいに『余を好きになるのだ!』と世界の中心で叫ぶ必要もないでしょう。
⑤深呼吸のススメ
前述までの事を書いておきながら、あれですが、実際には難しいのも経験的に承知しています。
僕も決して聖人君子ではないので、いつでもニコニコ笑顔対応カルロゼンスマイルゼロ円とはいきません。
ムガァアアアって、怒りたくなる時もある。どーして、そんなことをいうの? となるときもゼロじゃない。(ほら、僕って、とっても繊細なの)
特に、『不勉強な道徳家気取り』や『俄か知識で専門家ごっこ』の方が、気取って上から目線で何か言ってる時のあれ気さときたら!
だから、自ら敵を増やしにいくような真似だと分かっていても、アンチを批判したくなるときもあるでしょう。
怪しげな知識で批判された時など、思わず資料に手が伸びる。人を批判する人間は、自分もまた批判されるということを覚悟すべきだ……なんてスイッチが入りかけるほどです。
頭の中ではSir Arthur Harrisが顔を見せるの。
“The Nazis entered this war under the rather childish delusion that they were going to bomb everyone else, and nobody was going to bomb them."
……怖い:(;゙゚’’ω゚’’):
でも、僕の優先順位はハッキリしています。
何が大切か、そして誰が大切か? ということを考えて、深呼吸を一つ。
友達だったり、身内だったり、ファンだったりと、大切な人は一杯です。
でも、アンチじゃない。
僕はクリエイターとして、自分好みのものを好き勝手に書いています。ラーメン屋の店長みたいなもので、○○系が口に合う、合わないという事態は端から承知のこと。
嫌いと言う人の口に無理やりラーメンを突っ込み、『俺のラーメンを美味しいといえ!』と要求できないのは仕方のないことだと割り切っています。
むしろ、味を好きだといってくれる方に向き合う方がよほど大切。
(※あんまりにも腹に据えかねるときは、弁護士先生に相談してどうぞ。法律は貴方の望みをかなえる万能の聖杯からは程遠いかもしれませんが、一定の条件を満たせば機能しうるかもしれません。『法律は、法律を知っているものへ味方するのですから!』)
⑥結論
今回はどのように『アンチ』と対峙していくか……『ではなく』、どのように『アンチ』からの『メンタル』へのダメージを『軽減』するかに重点を置いたnoteです。
理想論としては、何を言われても己の道を突き進んだウェスパシアヌスルートがベストでしょう。
しかし、そこまで突き抜けることができないのであれば大王パパでも、大王でもない真ん中の道を歩むしかないと思います。
人間、万人に愛されることは難しく、同時に万人を敵とみなす必要もない。ただ、それだけの平凡な見解を延々と書き連ねました。
でも、アンチの言葉で『もうだめだぁ……』ってなってしまう前に、一度、深呼吸を入れるだけでもワンテンポ、ショックに緩衝材を入れられれば……。
そして、それでも、どうしても、あれ気なら、弁護士先生へGO!
最後に
Q:これは何のために書かれましたか?
強いて言えば、『創造空間が平和になれば、僕の楽しみにしているあれも、これも、続きが……まだ形になっていない新しい先生方の手になる新作もきっと楽しいのでは!?』というエゴありありです。
勿論、人様の役に立つカルロを目指します。『very stable geniusだね!』とか認められたらいいなぁ……っていうエベレスト並みに高い承認欲求に突き動かされた僕は、今現在、ノーベル平和賞へ推薦してくれる友達を大募集中です。
目指せ、ビバ・プレジデンテコール。(承認欲求だらけの澱んだ瞳で)