創作と資料 第一回:どこまで調べるべきか? byカルロ・ゼン


Q:これは、なんですか?

A:駄文です。

創作に際して、資料の調査をどの程度やるべきか? 大変興味深いテーマである一方で、最適解の個人差もまた極端に大きい分野です。

僕にとってベストなやり方をご紹介するというのも、一つのやり方でしょう。

しかし、他の方にとっても同じように最良の結果を齎すかと言えば『そんな都合のいいこと』はありえません。

※僕のやり方など、まぁ、なんか、そういうものに興味を持つ奇特な方が多ければそのうち適当にやります。

創作と資料というのは、奥深いテーマであると言わざるを得ない。とはいえ、まぁ、noteの軽い読み物として一先ず、概論を書こうと思います。

なお、取り扱うのは創作の中でも『フィクション』です。『ノン・フィクション』は、ちゃんと徹底して調べてどうぞ|:3ミ


・創作活動に際して、どれぐらい調べるべきか?

Q:ずばり、どこまで調べるべきでしょうか?
A:この問いに対する答えは、三つのパターンです。

答えが三つもあるのか、などと思われるかもしれません。

実際のところ、それぞれに『向き・不向き』があるように思うので、創作スタイルに合わせて使い方を使い合わせるのがよいでしょう。

A1:『間に合わせる程度』
→知りたいと思ったことを調べる。それで十分。
メリット:一番簡単です。時間もかかりません。なにより、『資料調査』を口実に手を止めることがほぼなくなります。創作を『完成』させるということを最優先するならば、これが最適解なことも。

デメリット:簡便さの裏返しで、知識の偏り、不適切な使い方をしてしまう可能性はあります。慣れと経験、そして分野に対する知見やスタンスによっては全然書けなくなってしまうことも。

A2:『安心するまで』
→知りたいこと+α。周辺まで体系的にカバー! ここまでやれば安心!

メリット:バランスの取れたアプローチ。時間はほどほどですが、当該分野について自分が納得するまでやれるので、自信を持って書けることでしょう。周辺の知見もくみ取っておけば、通にも喜ばれる描写・設定も可能です。

デメリット:『安心』しても大丈夫かどうかの判断が怖いところです。得意分野であれば『これだけやれば十分だろう』という見極めも正確ですが、初見や苦手分野で『大丈夫!』と思ったら『ダメだった……』となってしまいうことも。不安が生じると、迷走し始めることもあるでしょう。

A3:『完璧に』
→当該分野に関する専門家級知見の持ち主に、俺はなる!!

メリット:ジャガトマ警察かかってこいよ! こっちは完全武装のジャガトマ機甲師団! 航空優勢を確保し、MBTと機械化歩兵部隊を配備済みよ!

デメリット:何事かの専門家になるには、相当の時間を必要とします。残念なことに、一つの創作のために投入できるリソースは有限です。更に『ある分野の専門家』=『素晴らしい創作物を作れる人』という保証はどこにもありません。

・三手法の使い分けについて

ご覧いただいた三つの答えにはそれぞれに長所・短所があります。

勿論、物語強度を保つために『完璧な知識』を用意し、物語を作り上げる『クリエイティブなセンス』を最高に研ぎ澄まし、創作物を『完成させる意志』が完備されているのであれば、偉大なものがつくられうるでしょう。

そうであれば、勿論、どれほど望ましいことか。

ただ、理想的な状況から逆に考えてみてください。
・完璧な知識
・クリエイティブのセンス
・完成させる意志

の三つが求められています。

そして、重要なものから記述すると
①完成させる意志
②クリエイティブのセンス
③完璧な知識

の順番になってしまう。

そう。

完成しない創作物、『未完の傑作』というとアートっぽい。

ですが、『兎にも角にも、作らないことには始まらない』という真理を忘れては本末転倒が過ぎます。

未完の傑作は、それでも、『創作する』という営みがあればこそです。

ミケランジェロやレオナルドダヴィンチのことを思い浮かべてみてください。彼らのクリエイティブのセンスはすさまじい。きっと、万人が認めるでしょう。

でも、それは、彼らが『創作した物』があるからです。

『クリエイティブのセンス』がミケランジェロ、ダヴィンチ並みにあった人は他にいたかもしれません。でも、その人々の手によって作品が生み出されていなければ、それは『未完』にもなりません。

そして、ミケランジェロやダヴィンチには知識もありましたが……知識人がすべからく彼らと同じような『創作』を為し得たわけでもないですよね。

結局のところ、知識は道具です

創作というのは、道具を見せびらかすのとはちょっと違いますよね(道具を使って『創作物』をどのように作り出すかの勝負だと僕は勝手に思っています)

だから、道具は適切に使わねば役に立ちません。

極端な話、超高性能なゲーミングPCを貰ったとしたら、たぶん、steamで喜び勇んでゲームをプレイし、そこからインスピレーションを得た! と主張するぐらいはできるかもですね。

でも、そのスペックをフル活用して映像編集を! というルートは僕にはない。

持ち合わせていたPCがハイスペックで、映像編集に手を出したとき、あると便利だった……というようなパターンがあるにはあります。

ですが、それは『持ち合わせの道具』として便利ということ。今回は、『手持ちにない道具=資料/知識』を求めるというケースを想定しているのでご容赦を。

そういうわけで、道具としてみるとA1は誰にでも使え、A2はちょっとしたアプローチ。A3は玄人好み……という形になるかもしれません。

・創作ファースト主義

このnote記事は、『どこまで調べるべきか?』という問いに対し、三つの答えを提示しました。

軽くでもよし、ほどほどでもよし、がっつりでもよし。

長所・短所をそれぞれに列挙しましたが、結局のところで『創作』される『成果物』こそが重要だと思います。

なので、一般論としては『面白い物語』を作れる程度に調べればよし! というのが一つの答えなのではないでしょうか。

Q:じゃあ、面白い物語ってなんよ?
A:すごく難しい

お鮨とかの包丁とチョット似ているかもしれないですね……。

こう、包丁自慢をされてもあれげだけど、プロの職人さんは自前の道具をきちんと手入れして、最高のクオリティを出す……的な。

取りあえず、今回は『概論』として方向性を整理します。

①どれぐらい調べるべきかは、『どんな道具が欲しいか』次第。

②適切な道具として使えるか? を忘れてはいけない。道具を準備することと、道具を使いこなすことは別だから。

③いい仕事には、いい道具があったが方がいい。弘法は筆を選ばずというけれど、弘法大師なのよ? その人は。

④調べるのが目的じゃなくて、創作が目的ですよね? それとも、ジャガトマ警察対策とかだったりします? ジャガトマ警察は……とかいう議論です?

こんなところなのでは?

まぁ、ホント、概論でさっくりと整理してみましたが……ニーズあるのかな、こういうの:(;゙゚''ω゚''):?