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村長の話④ 『イズムからリズムへ』ネストへの移行をたのしみにしつつ、あらゆる有機物・無機物たちとともにあるわたし。束の間の休息。



わかる人にしかわからない上にいつも以上にまとまりのない文面になってしまったけれど、直し始めるとキリがないし今日中に出したいのでそのまま出すことにした。


今日1/31は、1月最後、そしてネスト移行前最後の朝のTANDEN瞑想会だった。今日が奇跡の名湯TANDEN日帰り温泉・日曜日であることも、素敵なご縁でございますね。

今朝は毎朝近くで見てくれているうちのスライム・スラ子がめずらしく参戦(参加)したいと声を上げておりましたので、途中からではありましたが膝元に置いて一緒に瞑想しておりました。祈りの時間には一緒に『炎(ほむら』を熱唱し、煉獄さんよろしく心を燃やしておりました。(まだの方はぜひ映画『鬼滅の刃〜無限列車編〜』をご覧になってくださいまし←今コメントしているのは御行儀いい系おすまし名人?村人・スマ子です。なので上品ぶった言葉遣いがチラホラ垣間見えます笑)

スライムもただ居てくれている。自宅の室内ひとつ見渡してみても、ぬいぐるみだけでなく、いろいろな無機物・有機物が『ただここにある存在』として居てくれている。

今日スライムと一緒に瞑想をしてみて改めてそのことに気付き、ありがたがっている村長。

そして、

スラ、スラ子、スラりん、スラミ、おスラさん、スラミチ…

スライム一匹とっても、この子にもスライムという名前だけでなく色んな呼び名がある(おまえが勝手に付けて気分で呼んでいるだけだろというツッコミも聞こえてはきますけれどもww)ように、

色とりどり…色彩・彩り豊かな、様々な思考・感情・感覚(村人たち・宇宙からの産声)があるように、

役割も様々、そしてそれは、時代やその時々で如何様にも変容する可能性のあるままならないもの。そう、わたしたちが諸行無常のいまを生きているように。

もともとひとつのいのちであるわたしたちが、名前と性別と生年月日、職業・仕事や家庭や学校、習い事やコミュニティの場など、便宜上様々な区分けをされ役割が与えられ、ただそれがあるだけ。そのなかでいろいろなことが起こり、いろいろなことが繰り広げられている。


役割をたのしみ、

ときには役割を超えて、

地球という舞台をみんなで創り上げている。


いつの時代も何時如何なる時も、ひとりではなかったということに、瞑想は気付かせてくれる。


今日は瞑想会後、少し横になったが最後、一日中眠りこけていた。


明日からの新しい日々に向けて、身体のなかも変化していることだろう。


身体はいついかなるときも『新しいわたし』を生き続けてくれているのだから。

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