見出し画像

じーじーの貯金箱

私の父は、私に娘が生まれると
自分のことを
じーじー
というようになった

私にとっての父は
封建的で
男女差別がひどくて
職人気質の
気難しい人だった

それが、初孫それも孫娘が生まれてから
父の生活は一変した
亡くなるまでの22年間
父は孫娘一筋だった

お医者様には
タバコもお酒もやめないといけないと言われ続けていたのに、最後までやめなかった
けれども、孫娘が
じーじー、あかんで
タバコやめい
というと、孫娘の前では絶対に吸わなかった

毎日毎日
父は孫娘と一緒に過ごした
そして、孫娘がすることは100%応援した
いろんな発表会や舞台に立つ孫娘を観るため
車酔いをものともせず、車に乗り込んでどこまでも行った
あちらこちらで、知らない人に
あの女の子は孫でと話かけていた

娘はもちろん
じーじーっこ
ばーばーっこ
に育った

私とパパは、娘の大学進学のとき
一人娘だから、進学を機に一人暮らしをさせようと決めていた
もちろん、じーじーは大反対すると思っていたが、最後まで何も言わなかった

後悔せんようにやりたいことをやり

とだけいって淋しそうに笑っていた
じーじーはいつまで生きてるかわからんでと付け加えて

とうとう、引っ越しを済ませ、家族3人で
これから住むマンションへ娘を送って行くとき、
じーじーとばーばーに挨拶していこうと実家に行った
いつものように、よく来たなあという父に娘が
じーじー、これからいくわな
タバコもお酒もあかんで
また会いに来るからね
と言ったら、、、

父はちょっと待ってい
と、部屋に入ってしまった
そして、戻って来たとき、赤い郵便ポストの貯金箱を持って来て、娘に渡した

じーじーな
この貯金箱に500円入れてたんよ
いくらあるかわからんけど、これ持っていき

それはそれはずっしりと重い
赤い郵便ポストの貯金箱だった

娘はありがとうと言って受け取った
玄関で写真を撮って
出発した

その日のうちに、娘を新居に残して
パパと私は帰ってきた
その夜、娘から写真と共に連絡が来た

じーじーのポストのお金を
全部並べてみたら
10万以上もあったんよ
こんなん使われへん
ちょっと泣きそうな娘だった


その後、じーじーの貯金箱はどうなったか?

あれから6年になるが、まだ、娘のそばにある
1年目、一人暮らしのお金のやりくりが下手くそで、毎日一枚ずつ500円玉を出して、学食に持って行っていたら、友だちから不思議がられたそうだ

でも、だんだん軽くなっていくのが
とても悲しくなって
あるときからは、自分の500円玉を入れているとのこと
引っ越しを2回したが、必ず大事に運ばれていて
いつも目に入るところに置かれている

じーじー
ほんとうに娘を可愛がってくれてありがとう
これからも、娘を見守っててな
タバコとお酒はもう好きに飲んでいいからね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?