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【旧新橋停車場】それを遺すという意志

どうも、SONOです。
最近口内炎はあまり出来ていないので、「プロ口内炎クリエイター」を名乗っていいのかはわからないです。ただ、この記事を書き始めてはや一ヶ月たったので「プロサボラー」みたいな称号は得られそうです。

さて、私はにわかもにわか、名乗るのも烏滸がましいほどの「鉄」なのですが、先日、と言ってももはや昨年になりますが、とある鉄分摂取をしてきた帰りにふと、再現ではあるものの鉄道遺構を見てきました。

今現在はまだしも、未来よりも過去ばかりを見がちな人間なので、こういう、今はもう話すことも認識することも出来ない過去の「誰か」の痕跡を感じるキーには目がないのです。
今はまだ、こういったものを愛しその記録を情報として発信している偉大なる先人の方々がいるから、私もその存在を辿ることができます。しかし、この動きの早い世の中で、その一端を担っている身で、いつそれが散逸するとも限らないことを想像するに、素人ながら私も何か、私の目に映った、いずれ塵芥になっていくであろうものを形にしておきたいと思い書き留めていくことにします。

いずれ人類の衰退とともに、塵芥となる知性の産物たちに、餞を。


偶然降り立った「新橋」

その日は、自分の鉄の始まりである舞台作品を品川で見た帰り、連れを見送りに新橋へ。連れと別れ、都営浅草で帰るか、銀座で帰るかと軽く悩んでいたところに飛び込んできたとある文字。

【旧新橋停車場】

北改札を出たところで目に止まった「旧新橋停車場」の文字

もう、鉄道遺構です!はいどうぞ!と言わんばかりの案内表示に、頭が鉄モードになっていた私は「まぁ運動不足だしな」とか適当な理由をつけて、右手銀座口を出て旧新橋停車場へ向かいました。

過去への視点

そもそも、私は自分の性質を人に説明する際に、大抵の人に首を傾げられながらも

「某舞浜の施設に行くか、廃線跡を観に行くかであれば後者の人間である。」

と説明するような人間です。
つまり、未来はおろか今現在の事象も私の感性の中ではあまりピンと来ず、過去に生きた人間の痕跡を愛するタイプなので、こういった遺構は素人なりに好きなのです。

廃墟、廃線、廃駅…
人の都合によって作られ、人の都合によって捨てられ、そして物言わぬ自然に取り込まれて還元されていく、そんなモノたちは、モノでありながら人の生きた証であると、生身の人間とのコミュニケーションが酷く苦手な私にとって、人間という生き物との貴重なつながりの場であると考えています。

とにかくそんなわけで、私は私の都合によってそういったものが好きなので、時間もあることだしと歩き出したわけです。

綺羅びやかな摩天楼のお膝元に佇む遺構

軽く5分程度歩いたところにひっそりと旧新橋停車場はありました。さしたる距離ではないですが、所謂「汐留」と呼ばれる地域にあります。昔大江戸線の駅名の「汐留」のあとにくっつく「シオサイト」ってなんじゃい!と思った記憶のある、あの、「汐留」です。

とにもかくにもそれは、それを目指さずにそこを歩く人間にとっては、古めかしい建物という景色の一部になるか、あるいは手元のスマートフォンに気を取られて視界にも入らないであろうほどの、こじんまりとした遺構です。ここから日本の鉄道が始まり、現在もなお東海道本線として残るそれの、本当に最初の一歩がここ。
といっても、調べてみるとこの「旧新橋停車場跡」は復元遺構であり、旧駅舎は関東大震災で消失し、1997年から復元プロジェクトが始まったとのこと。

わが国の鉄道文化の起点となった新橋停車場は、明治5年(1872)に竣工した。設計はアメリカ人建築家ブリジェンス。以後、中央駅としての輝かしい歴史を刻みながらも、大正3年(1914)の東京駅開業により貨物専用駅となり、関東大震災で駅舎本屋を焼失してしまった。

https://www.sanko-e.co.jp/read/memory/kyu-shinbashi/
高層ビルの谷間にひっそりと佇む「旧新橋停車場跡」

なんでも、単なる復元ではなく、基礎部分が発掘されたことによる正確な位置での復元とのことで、つまりはこの場所に立ってそのまま時を遡れば、当時そこを行き来した人との邂逅が叶うというそういう、垂涎ものの復元遺構ということなわけですね。実にいい。

それを「遺す」ということ

こういった遺構は、私のような朽ちていくものをこよなく愛するある意味後ろ向きな人間にとっては存在の意味があるのはもちろんですが、では、世間一般としてそれが必要かというと、答えはNOでしょう。私がいかに素晴らしいかを語っても、ほとんどの人は無視するか、鼻で笑うか、という、必要な人以外に必要ないと思われるもの。
しかし、それを遺そうとする人々がいることは人間が過去のすべてを不要としないのであるという、それが垣間見えるだけで私にとって救いになります。損得で考えればそんな金にならん(いや、オタクは侮れないから鉄から巻き上げることはできるかもしれないけれど)ものを遺す理由もなく、歴史的遺産も古に思いを馳せることが無価値と判断されれば雲散霧消するであろうそれを、「遺す」ということ、それこそが人間が人間であることを肯定するように感じたのです。

完全に面影のなくなってしまった遺構も数多あり、むしろそういったもののほうが多い中で、こういう遺す意志のもとその形を現代に伝えているもの、反対に今まさに塵芥にならんとするもの。どれもが人の手によって生み出されたかけがえのない記憶なので、少しずつでも一つずつ、まだ知覚できるうちに、訪ねて回りたいなと思います。


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