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研究:国境の長いトンネルを抜けると・・・「いき」の世界であった。

九鬼周造は『いきの構造』でこう言っている。

“要するに、「いき」は「浮かみもやらぬ流れのうき身」という「苦界」にその起源をもっている。”

『北国』というタイトルからはとんと想像もしていなかったのだが、本作はその「苦界」にある女を、物語の話者である男が訪ねてゆく話である。

その女は十九。ひなには稀な美しい女だった。

芸者というわけでもないが全くの素人とも言えない、ワケありの女だった。

片田舎にありながら、都会人好みの歌舞伎の話などで意気投合したこともあり、男は女に好意を持った。

その心持ちと花柳界風にものなれた彼女の態度につい気をゆるして、夜伽をしてくれる女を紹介してくれ、と男は女に言う。

この時から、奇妙にもつれた感情が二人の間に芽生え、間もなく二人はズブズブと男女の関係へ落ち込んでゆくのであった。

男は仕事をせずとも生活に困らない身分。そして東京に妻子があった。

男がかける言葉や態度に情けを感じ取り、女は男に魅かれてゆくが、結局男はゆきずりの女にするように彼女のもとを去る。

そして一年後、また女を訪ねる。

そんな交情を数年越しで深めてゆくふたり。

“魂を打込んだ真心が幾度か裏切られ、悩みに悩みを嘗めて鍛えられた心がいつわりやすい目的に目をくれなくなるのである。異性に対する淳朴な信頼を失ってさっぱりと諦むる心は決して無代価で生れたものではない。「思ふ事、叶はねばこそ浮世とは、よく諦めた無理なこと」なのである。その裏面には「情(つれ)ないは唯うつり気な、どうでも男は悪性者」という煩悩の体験と、「糸より細き縁ぢやもの、つい切れ易く綻びて」という万法の運命とを蔵している。”

と、先述の『いきの構造』で花柳界の女と客の男の関係をこのように表現している。そして

“恋の真剣と忘執とは、その現実性とその非可能性によって「いき」の存在に悖(もと)る。「いき」な恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。”

とも九鬼は言う。

『北国』は「いき」の文化を活写した物語だと思う。

花柳界の男女がテーマというだけならば、そのような作品は数多あるだろうが、人物の一挙手一投足が、定まった形のない「いき」という概念を構築してゆく、その緻密さは超絶技巧の伝統工芸品の趣がある。

だが結局は割り切って「いき」に生きることができず、苦しみもがく女の姿をあらわしており、読者は男の目を通して、その苦しみ逡巡し悶える姿を見つめつづける。

川端は漆塗りの工程のように、何度も塗り、研ぎ、塗り、研ぎをくりかえして端正な漆器の輝きを持つ女の姿をあらわすにいたる。

哀れでいとしいその姿は、かなしいほど美しく、いつまでも読者の胸の裡を去らないのである。

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