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決闘裁判

かつてイギリスには、殺人事件の被害者遺族が犯人を起訴できる「殺人私訴」の制度があった。ただし、殺人私訴で訴えられた被告が、「法廷で手袋を投げた」場合には、原告と決闘によって正邪を決することができる。これが「決闘裁判」であり、穂積陳重が『法窓夜話』の中で紹介している。

決闘裁判については、1770年と74年に野蛮だとの理由から議会に廃止法案が提出された。しかし、現実に決闘裁判を請求する者がいなかったので、わざわざ廃止するまでもないとされ、法案は結局廃案となった。その40年後、実際にこの決闘裁判を請求した被告が現れたことで、イギリス社会は大騒ぎになった。

1817年、ソートンという男が少女を溺死させようとしたとして、その兄弟から「殺人私訴」を提起された。裁判当日、判事から答弁を求められたソートンは、決然として立ちあがり、「私は無罪だ」と叫んで、手袋を法廷に投げつけたのだった。

法廷は騒然となった。陪席判事は、決闘裁判は古来の蛮法であり、数百年来決闘裁判が行われていなかったので、この法は事実上効力を失っていると主張したが、裁判長の「これ国法なり」の一言で、決闘裁判の請求が受理されてしまった。

しかし、被告の態度に怖れをなした原告が、訴訟を取り下げてしまったので、結局、決闘は行われなかった。

世論は沸き、決闘裁判のような蛮習を絶つには、復讐を根本とする殺人私訴を廃止すべきだとの意見が強くなり、1819年に殺人その他の重罪の私訴は廃止されたのだった。

この逸話は興味深い。2度にわたって議会で廃止法案が議論されたにもかかわらず、現実に決闘裁判を請求する者がいないという理由で廃案になっている。にもかかわらず、ソートンが法廷に手袋を投げつけるやいなや、法廷が騒然となった。つまり、法廷にいた誰もが、それが決闘裁判の正式な請求手続であったことを承知していたのである。裁判手続としての決闘は永らく行われなかったとしても、一般社会においては、案外決闘で事を決するという習慣が続いていたのではないだろうか。

上の絵は、ジャン=レオン・ジェロームの「仮面舞踏会後の決闘」である。決闘に負けた男の胸に血が滲み、顔面が蒼白になっている。彼のピエロの衣装が、決闘の愚かさと哀れさを漂わせ、劇的な効果を出している。その場を足早に立ち去ろうとする勝者の後ろ姿にも勝利の喜びはない。(了)


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