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碁会所の思い出

囲碁を覚えたのは20歳前後のことで、夜中に天井に碁盤が浮かぶほどのめり込んだが、碁を打つ機会は、当時は今のようにネットで対局するネット碁もなく、いわゆる碁会所(ごかいしょ)で対局する以外にほとんどなかった。

碁好きはだれでも街を歩いていて不思議と「碁」という看板には目がいくものだけど、この碁会所が初心者にとっては結構敷居が高いのである。自分のような弱い者でも構わないのだろうか、屈辱的な扱いを受けはしないだろうか、周りの人に迷惑ではないのだろうかなど、初心者にとって碁会所は心理的にかなり入りにくいところではある。

幸い、自分はとても良い碁会所に巡りあい、席主(碁会所の主人)に初心者の頃から二段になる頃まで、本当によくしてもらった。席主はアマの六段。奥さんも多少は碁を知っていたみたいだけど、一度も石を持とうとはしなかった。小さな長屋の一軒の一階が碁会所、二階が住居だった。碁盤は10面ほどしかなく、猫好きの夫婦は、二階に10匹ほどの猫を飼っていた。

「園田さん、碁会所は儲からへんで」

これが、奥さんの口癖だった。

冬になると、なぜかその碁会所を思い出す。建て付けの悪い戸を開けると、エビス顔をした席主がいつもの場所に座って、新聞の囲碁欄を見ながら棋譜を並べている。「園田さん、いらっしゃい!」と奥さんがお茶を出してくれる。あの暖かい碁会所を思い出す。

入口の石油ストーブの上にはおでんの大鍋が掛けられている。どれも一個30円で冷や酒が一杯100円。私は、駅から帰る途中に、少し遠回りをしてここにやってきて、おでんを2~3個食べながら碁を打って、負けた碁や勝った碁を思い出しながら家路につく。

恒例の忘年会を思い出す。常連ばかり10名ほどが集まって、料理を一品づつ持ち寄る。スーパーで買った巻きずしやコロッケ、焼き鳥、家から持ってきた漬物や玉子焼き、スルメ、どれもこれもご馳走である。昼から店を閉めて、碁の大会をやって、その後宴会となる。囲碁を肴に酒を酌み交わし、カラオケを歌って、フィナーレは決まって奥さんの粋な都々逸だった。

碁敵の顔を懐かしく思い出す。強面の元警察署長、偏屈の元校長先生、住宅メーカーの営業マン、心臓にペースメーカーを埋め込んでいたKさん、素面では家に帰れなかったボヤキのSさん。彼らの対局姿を懐かしく思い出す。

結婚して、引っ越してから、その碁会所も遠くなった。何年かして久しぶりに、碁を覚えたばかりの息子を連れて行って、教えてもらったことがあった。その日は、日曜日だというのに閑散としていて、3人ほどしかお客さんがいなかった。狭い碁会所が広く見えた。

「もっと近かったら、毎日、打ったんのになぁ」
「園田さん、また、ぼん、連れといでや」

持って行った土産の寿司を食べながら、席主は何度も息子の頭を撫でていた。

30数年ほど前に席主も奥さんも亡くなられ、碁会所も消えてしまった。

碁会所の名前は、『天狗クラブ』といった。常連のみんなが、囲碁の天狗になれた碁会所だった。(了)


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