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賭け碁

今はほとんどないと思われるが、むかしは商家の旦那衆が碁打ち同士を闘わせ、その勝敗に大金を賭けることがよく行なわれていた。これを「賭け碁」といって、その碁打ちを畏れと尊敬を込めて〈賭け碁師〉とか〈真剣師〉などと呼んだ。

江戸時代の賭け碁師の中では、享保・文政期に三千両を稼いだと言われる「阿波の米蔵」こと四宮米蔵が有名である。また、明治初期には当時の方円社に属した水谷縫次も、もともと賭け碁師として名を知られていた。大正時代にプロの専門棋士として三段まで進んだ大阪の堀田忠弘はその後真剣師となって1982年に没するまで、プロ棋士もしばしば破る活躍でと呼ばれた(by Wikipedia)。

ところで、賭け、つまり賭博は刑法上の犯罪(刑法185条)である。賭博とは、(サイコロの目やランダムに繰られた札の順番のように)「偶然の事情によって財物の得喪を争うこと」と定義されているが、囲碁では両者の力の差が歴然としている場合もある。とくにプロ棋士とアマチュアの棋力の差は、大相撲力士と少年相撲ほどの差がある。そこで置き碁といって、下手は最初に何個か黒石を置いて上手と対局することになるのだが、アマチュアのかなりの高段者であってもかりに名人と首を賭けて打つかと言われると、置き碁であっても恐ろしいのである。

判例集をペラペラとめくっていると、ときどき面白い判決に出会うことがある。次に紹介するのは、賭け碁がどのような意味で賭博となるのかについて詳細に論じた判決である。なかなか味のある判決なので、ここに紹介したいと思う。

囲碁は、一定の法則を了知し、布石その他特別の思索を練磨し、臨機応変に対応する才能を発揮する点において全く偶然によって勝敗の決するものとは異なるのは当然である。しかし、人の思考力は常に一定というわけではなく、身体や精神状況その他外界の有形無形の影響を受け、平静を保つことができないことは往々にしてある。そのため、能力を発揮できず、相手に好手を許し虚しく嘆くこともある。力の差が歴然としていて、勝敗が事前に予測できるようなときは、賭けに当たらないことはもちろんであるが、技量に差がある場合は、先手、井目その他の方法で棋力を同等にして黒白を闘わせるので、そのような場合はなお偶然によって勝敗が決するものと言わなければならない。(原文は文語文)

(注)井目=「セイモク」と読み、はじめに黒石を九個置いて打つハンディ戦のこと。
大審院大正4年10月16日判決

碁好きならば、この判決文を読んでニヤリとするはずである。おそらくこれを書いた裁判官も、よほどの碁好きだったのだろう。裁判所ののどかな昼休み、裁判官室で裁判官や事務官たちが碁盤を囲んでいる姿が目に浮かぶ。最近はこのような面白い判決文が少なくなった。(了)

(追記)江戸時代の賭け碁師を描いたマンガで、山松ゆうきち著『天元坊(全2巻)』がある。これは「マンガの金字塔」と言われている名作である。絶版になっていたが、十年ほど前よりネットで購入可能になったので、機会があればぜひ読んでいただきたい。

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