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覚醒剤が支えた電撃戦

戦争における速度の重要性を指摘したのは孫子である。かれの『兵法・軍事篇』の一節に、のちに武田信玄の軍旗に記されるあの有名な「風林火山」の下りがある。

ドイツ軍が1939年9月に行なったポーランド侵攻は、戦争における速度の重要性を証明する戦いであった。この侵攻は、工業化された戦争の新しい形態であって、電撃戦と呼ばれた 。電撃戦は速度と奇襲性を重視し、パンツァー師団(第4装甲師団)やシュトゥーカ爆撃機などのドイツが誇る技術力を発揮する機械化された攻撃、そして前例のない速さで行われる進撃で敵の意表をつくものであった。

しかし、電撃作戦の唯一の弱点は、兵士が機械ではなく人間であったことだった。つまり兵士は、定期的に休息と睡眠を必要とし、必然的に進軍を遅らせる。

この点をカバーしたのが、ペルビチン(Pervitin)だった。

Pervitin

ペルビチンとは、ベルリンの製薬会社テムラー・ヴェルケ社が製造した薬で、今日では「クリスタル・メス」、つまりメタンフェタミン覚醒剤)として知られているものの初期バージョンである。もちろん、現在は厳しく規制されている薬物である。

この薬物は、覚醒度を高めて集中力を鋭くし、自信を与え、空腹感、喉の渇き、痛みの感受性、睡眠の必要性を著しく低下させた。これらの特性は軍事的行動にとって非常に望ましいものであり、とくに国防生理学研究所所長のオットー・F・ランケは、ペルビチンの戦場での活躍に大きな期待を寄せていた(かれ自身ペルビチンを常用しており、30時間から50時間、目立った疲労を感じることなく仕事を続けることができたと述べている)。

理由は、ベースとなる化学物質が輸入に頼らずともすべて国内で製造可能であり、しかも安価に製造できることだった。

ランケの期待どおり、ペルビチンはドイツ軍にとって完璧に魅力的な興奮剤となった。

電撃戦は、1940年4月にはデンマークとノルウェーの陥落を招き、翌5月10日にはドイツ軍はオランダ、ベルギー、そしてついにフランスへと兵を進めた。

パンツァー師団は、5月10日の出撃前に、2万錠のペルビチンを飲み込んだ。そしてフランスの防衛は、作戦中睡眠と休息を必要としなかったドイツの攻撃に圧倒された。

ドイツ軍の戦車隊は、アルデンヌの森を含む240マイルの複雑な地形を11日間でカバーし、アルデンヌは通れないと予想していた塹壕のイギリス軍とフランス軍を迂回した。落下傘兵は前進部隊より先に敵陣の背後に落下し、混乱を引き起こした。英国の報道機関は、これらの兵士を「重度の薬漬け、無気力、そして凶暴」と本国に伝えた。

侵攻の指揮を執ったハインツ・グデーリアン将軍は愕然とした。「私は 48時間眠らないよう命じたはずだ。48時間眠らないように命じたのに、兵士たちは17日間も眠らなかった!」、と。

ヒトラーはさらに驚いた。自軍がすでにフランスに到着しているとの報告を受けたときは、まったく信じられなかった。グデーリアン将軍への返事は、「君のメッセージは誤っている」であった。

チャーチルも信じられなかった。ドイツ軍の驚異的な速さとフランス軍防衛力の崩壊を知り、かれは言葉を失った。

戦争にかかわる者すべてが、ペルビチンによって意表を突かれた。(了)

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