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薬物なしでは戦えない

戦争と薬物の関係は、戦闘と同じくらいの長い歴史がある。

古代ギリシャでは兵士はアヘンとワインでパフォーマンスを向上させ、ハンニバル軍はアフリカの部族との戦闘でマンドレイク(アトロピン=幻覚植物)を、バイキングは幻覚キノコを多用し、インカの戦士はコカの葉を使った。アフリカの戦士はコラの実からハシシまで様々な薬物を使い、アジアではアヘンが使われた。

19世紀の戦争にモルヒネは不可欠で、とくに南北戦争では資金的に潤沢だった北軍が多用した。南軍の兵士は、ウイスキーを飲んで痛みに耐えた。

しかし、薬理学が進歩した20世紀になって初めて本格的な薬物戦争が始まる。

第一次世界大戦は、コカインの戦争であった。コカの葉から合成されたその薬物は、イギリス、ドイツ、オーストラリア、カナダの軍隊に配られた。スペイン軍では、アルコールが主流であったが、これはスペインには軍への供給を支えるだけの製薬産業がなかったからである。さらに、タバコの喫煙率が驚異的に上昇したのもこの戦争が原因だった。

第二次世界大戦では主にドイツ軍と日本軍によって、メタンフェタミンとアンフェタミン(それぞれペルビチンとベンゼドリンという名前の覚醒剤)が使われた。何十時間の行進を可能とするペルビチンがなければ、ナチスのパリ侵攻は不可能だったと言われている。

フィンランドとソビエトの間の冬戦争では、軍隊への薬物の配布は極限にまで達した。フィンランド軍は、大量のヘロイン、モルヒネ、アヘンを備蓄していたが、ソビエトの兵士を支えたのはウオッカだった。

ベトナム戦争では、アンフェタミン(覚醒剤)が兵士にキャンディのように配られた。1971年、米国議会の犯罪委員会の報告書は、1966年から1969年の間に、アメリカ軍が2億2500万錠のアンフェタミンを使用したことを明らかにした。ラオスに4日間の予定で潜入した兵士たちは、ダーボン(軽い鎮痛剤)12錠、コデイン(アヘン系鎮痛剤)24錠、デキセドリン(覚醒剤)6錠が入った医療キットを受け取り、さらにステロイドも注射されていた。それらの精神薬は、戦闘能力を向上させるだけでなく、精神的なダメージの軽減も目的としていた。戦闘の歴史上初めて、強力な抗精神病薬(クロルプロマジン)が日常的に処方されたのもベトナムだった。もちろんアルコールの消費もハンパではなかったが、兵士たちにはアルコールよりもマリファナが好まれた。

湾岸戦争では、多くの米軍兵士がイラクの生物化学兵器に対する予防として未承認の薬物を服用した。

イラク・アフガニスタン戦争では、パーコセット、オキシコンチン、バイコディンなどのオピオイド(鎮痛剤)が多用されている。また、レッドブル飲料、ノドックス、デキセドリン錠剤も、エネルギーと覚醒を維持するために広く使用された。しかし、休息時には、アンビエン(睡眠剤)、レストリル(睡眠剤)、その他のベンゾジアゼピン系の処方箋薬(向精神薬)が使われた。

「薬物なしでは戦えない」という事実は、2つの点で重要なのである。

第一は、いうまでもなく、戦場においては兵士は強烈な恐怖や不安に直接さらされるので、それを和らげ、克服するための薬物が必要になるということ。
第二は、敵が兵士の戦闘能力をより高める薬物を開発し、軍隊に投入したならば、ただちに戦力の非対称が生じ、自軍もこれに対応せざるをえないということ。たとえば、70時間不眠不休で戦える兵士が攻撃してくるならば、疲労回復のための休息と睡眠は考えられない。戦場の薬物は、重要な武器なのである。(了)

参考
WIRED:覚醒剤の助けで戦闘に臨む米軍兵士たち

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