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たちぎれ線香

桂米朝が生前大切に語っていた「たちぎれ線香」という上方落語の古典。以前は「大師匠」の格でないと高座にかけることを許されず、お囃子方も協力してくれなかったというくらいの特別な大ネタだった。

船場の若旦那が舞妓小糸と相思相愛の仲になり、茶屋(花街)に入り浸る。むかしは、「引手茶屋」という、茶屋と客とを仲介し雑用一切を請け負う業者がいて、身元の確かな客には遊興費の立替えもした。そのため船場の若旦那は無一文でも存分に遊べた。必然的に借金は膨らむ。そこで親族一同が集まり、会議の末、若旦那を百日の間、蔵に閉じ込めることになる。 百日経って蔵から出ることを許された若旦那、小糸の元に急いで駆けつけるが。。。

この話で興味深いのは、放蕩息子に親族一同が集まって蔵への幽閉を決める下りである。監禁は当時でももちろん犯罪だが、一定の理由があれば親族による自宅内の監禁行為が許されていた。これは、手に負えなくなった「乱心者」や「不良子弟」等をいわゆる座敷牢に監置する制度で、「指籠(さしこ)入れ」と呼ばれた(私宅監置)。

明治になってもこの制度は存続し、「瘋癲人」(ふうてんにん=精神障害者)の看護や「不良子弟」等の教戒のためにやむを得ず自宅に「鎖錮」(さこ=監置)する場合、(瘋癲人は医師の口上書[=診断書]を添えて)親族が連判して警察に願い出ることになっていた(明治11年(1878年)内務省警視局布達甲第38号)。

若旦那についての親族会議はこの自宅鎖錮のための話し合いで、当時そこでどんな話し合がなされていたかと思うと、大変興味深い。(了)

参考:たちぎれ線香~桂米朝【動画】 | 聴き比べ落語名作選 (ohmineya.com)

初出:甲南法務研究第14号編集後記(2018年3月)に加筆

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