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【日々、物書き】02.時計と余白

引っ越しをすると、思わぬ物が出てくる。
私の場合、それは時計だった。
引き出しの中の物を選別している途中で、箱に入ったままの時計が出てきた。

普段、私は腕時計をしない。
本業の仕事でパソコンを扱うせいか、どうしても腕に何かがあると邪魔で気になってしまう。
それならば、仕事中は外せばいい話なのだが、どうも根本的に腕に着けるのが好きではないらしい。
特に、大きくて重たさを感じるものを腕に着けることに抵抗がある。

話は戻るが、幾年も掛けて引き出しの中で寝かせ続けていた時計は、「壊したら、もう手に入らないかもしれない!」という思考から、余計にどこかへ仕舞い込むという行動に出た結果だった。
まさか、本当に二度と手に入らないだけの時間を掛けて、今さら再発見することになるとは思ってもみなかったが……。

私は今、その時計を普段からずっと身に着けている。
そう、時計を見ていて、ふと思ったのだ。

時間を見るって面白いな、と。

普通なら、時間に縛られて生きてなどいたくないと思う。
ならば、時計など時間が分かるものを見なければいい。
常に針と秒針が見える時計を身に着けるなんて、以ての外だ。
なんなら、スマホで必要な時だけパッと確認すればいい。

だけど、時計を身に着けるようになって、逆に時間の面白さに気付いたように思う。
私は割りと大雑把な性格をしていて、時間を気にしなくていいのならば、好きなことはずっとやり続けているし、何でも適当に、その場の雰囲気で始めたり、終わらせたりする。
だからなのか、その瞬間に時計で時間を確認すると、自分が想像していた時間とは食い違いが発生していることに気付いたのだ。

特に、自分が作業していた時間経過の感覚と、空の暮れ方と、時計に表示された実際の時間の食い違い方を体感すると、何故だか、そのギャップが私にはとても面白く感じてしまう。

自分はちょっとしか時間が経っていないと思っていても、空は想像以上に暗くなっていて、でも実際の時計は予定通りの時間で……。

季節や天候、居る場所にもよるけれど、自分の体感とその場所の風景の移り変わりと実際の時間を合わせると、ちょっと不思議なことに出会えることができる。

旅先だと、それをより体感できる。
初めての土地だと、自分の想像以上のことが起こるからこそ、時計との相性が良いのだと思う。
時計は本来、正しい時間を認識し、必要な期間内で行動するためのサポートツールではあるが、使い方や考え方を変えるだけで、もっと別の意味を持たすことができる。

子育てをしていると、それこそ時間に追われる日々の連続だ。
自分が自由に出来る時がないことも多く、余裕のない毎日の繰り返し。
だからこそ、時計を駆使して効率的に行おうとしてしまいがちだが、少しだけ本来とは違う使い方をするのもいいのではないかと思った。
物事は、全てきちんとしている必要はないのだから。
ちょっと寄り道するだけで、いつもとは違う風景が見えて、新たな発見や面白いことに遭遇できれば、ほんのちょびっとでも心の余白を生み出すこともできるかもしれない。

記:西島 颯乃
画像:PAKUTASO

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