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あれからもう25年も経ちました…

明日、2022/8/31は
私に「英語」の存在を教えてくれた女性…
ダイアナ妃が亡くなってから25年となります。

1981/7/29…
当時9歳の私はTVで初めて「ダイアナ妃」と「英語」を知った。
そう、ダイアナ妃の結婚式がTVで放映されていた。

「わぁ〜めっちゃキレイ〜!
こんなキレイな人がいるの〜?
この人はダ〜レ?」

一瞬でTVに釘付けになり
一瞬で大好きになり
一瞬で

「このキレイな女性が話している言葉を話したい!」

と、思った。

その日からダイアナ妃の情報を追いかける日々が始まり
私がダイアナ妃を大好きなことは一瞬で広まり
いろんなところから情報が入ってきた。

英語にも積極的に触れるようになり
あちこちで

Hello! Hello!

と、海外の方を見つけては声をかけていた。

「英語が大好きだ!」
「将来は海外に行こう!
ダイアナ妃がいる国がいい!」

中学のときはこんなことばかり考えていました。
だから
バレー部をすぐ辞めて帰宅部を選択したとき
先生からの

「内申点に響くぞ!」

の、脅しにも平気だった。

だって
「どんな高校に行こうとも
海外に行くから大丈夫!」

と、思っていたからです。

両親も英語を頑張る私を応援してくれて
英語学科のある高校を選んで受験しましたが
「不合格」…
内申点が響いちゃった?(笑)

でも、まったく大丈夫でした。
なぜなら
「海外に行くから!」

数学、理科などはほぼほぼ赤点でした。
でも、No problem!!(問題ない)
「海外に行くから!」

そして
1986/5/8…
大好きなダイアナ妃が初来日!!
当時、私は14歳。

そのとき
大好きなダイアナ妃の横にずっと日本人の誰かがいた。

「あの人は、なにしてるの?」

初めて「通訳」という世界を知った。

それでビンゴー!!

「私も通訳さんになる〜!」

単なるミーハー心(こころ)で進路を決めた。

あれから約22年後に長年の夢が叶い
感無量で、本当にうれしかったです。

1997/8/31…
ダイアナ妃がフランスで亡くなり
それまでよく耳にしていた
「心にポッカリ穴が空いた気分」
を、初めて体験しました。

9歳のころから
ずっとずっとなにがあっても前に進んでこれたのは
キレイで大好きなダイアナ妃がいてくれたから。

「これから私は誰を指針に生きていけばいいのだろう?」

「無」になってしまった私が出会ったのが
いろんな花でダイアナ妃のお顔が映り出される1000ピースのパズル。
2日間、ほぼ徹夜で没頭しました。
ダイアナ妃のことを1日も忘れたくないので
毎日、お顔が見れるように私の部屋に飾り続けています。

✨🌹25年間、眺めてきているダイアナ妃🌹✨


時々、今でも考えると泣いちゃいます。
25年間、ほとんどダイアナ妃の写真集も動画も見てこなかった。
でも、ようやく見れるようになったかなぁ。

見なくてもダイアナ妃の輝きは
私の目の裏に焼き付いているから
目をつぶってダイアナ妃のことを想えばすぐに逢える。
でも、両目の端からタラ〜ッと涙が出てきちゃうなぁ…。

ある1人の美しさが
私に夢と希望と生きる強さを与えてくれて
9歳の夏休みに「ダイアナ妃」を見ていなければ
どんな人生を送っていただろう…。

ダイアナ妃は常に
「善い行いをして、美しく生きる」
を、続けて来られた方。
そんなダイアナ妃に影響を受けて
私もそのような生き方を努めていたら
「善い行いをして、美しく生きてください」
という想いを添えて
韓国のある会社の社長様が
「善美(ソンミ)」という名前をプレゼントしてくださった。

明日のダイアナ妃の25年を機に
私の50代は
「善く、美しく、幸せで、笑顔に」
過ごすことを誓います♡

ダイアナ妃…
いつもありがとうございます。
そして
これからもずーっと大好きーーっ♡♡♡

✨🌹ダイアナ妃コレクション🌹✨
✨🌹ダイアナ妃…永遠に🌹✨

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