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蜜蜂と遠雷とストリートピアノ

映画 蜜蜂と遠雷を公開日に観た

公開日に映画を観るのははじめてのこと
早めに仕事を終えて 厳密に言うと仕事を残して
大切な用事だとだけ理由を添えて映画館へ

原作は読んだけど最初と最後以外は
実はあまり覚えていない
それでもなぜか突き動かされるように観に行った


現界まで楽器を弾くということ
現界まで音楽を創るということ

到達したいところに行けた人
到達したいところに行けなかった人

表現したい音を創り出せた人
表現したい音を創り出せなかった人

歴史に残る音楽家が現代に産まれていて
今の世界の音を聴いた時
どういう音楽を残したのだろう

歴史に残れなかった音楽家が現代に産まれて
今の世界の音を聴いた時
歴史に残る音楽を残したりもしているのだろう

そんなことを考えた映画だった


エンドロールの後
ピアノの音が聴きたくて
ストリートピアノまで行った

女の人が楽譜を見ながら弾いていた
エド・シーラン の Thinking out loud
楽譜をめくるときに演奏が止まっていたけど
一生懸命に演奏している姿を見ていると
止まる演奏も気にならない
気づいたら小声で合わせて歌っていた
一緒に歌いたかったけどそれは控えた

演奏を終えたあと
「エド・シーランの曲ですよね」と聞いたら
大切な楽譜を抱きかかえて瞳を輝かせて
「大好きな曲なんです」とひとこと
「次に弾かれますか」と聞かれて
「いえ、弾かれません」と日本語になっているかいないかの言葉で答えた気がする

彼女もまた映画内のピアニストの一人に見えた


帰り道の街の中は音の聴こえ方が違っていた

風の音
木々の音
足音
自由な音

学生の時に書いた「自由の音」という曲
もう一度引き出しから出してみた

ルーパーという現代の演奏補助機械を使えば
現代で産まれ変わることがあるのだろうか

聴こえてくるものを奏でてみれば
何かが見つかるのだろう

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