見出し画像

養成所編 中編

前回は養成所編 前編
って事で書いたので続きを書きたいと思います。

訓練中の大きな出来事はフライングでした。
リーグ戦でフライングすると、2ヶ月に一回の外出日も禁止になりました。

他の期は、現地訓練と言って、実際のレース場に行って訓練をするのですが(福岡等)93期は1度も有りませんでした。
見学などはあったのですがリーグ戦(訓練生達のレース)でフライングした訓練生は外出も禁止になりました。
2ヶ月に一回しか無い外出が禁止になるとは本当に苦痛でした。

それだけだと良いのですが、有明海に面した広大なモーターボート選手養成所

左が第2水面、右が第1水面の周りを外出禁止プラス1週間、乗艇禁止でひたすら草刈りをやらされました。
コレはきつかったです。ボートに乗れずひたすら草刈りでした。

雨の日は何したかと言うと教官室横の壁に向かって、気をつけ(直立不動)

↑気をつけイラスト

をしてどうしたらフライングが無くなるか考えろって事でした。

朝8時から12時

13時から16時

間の1時間は昼休憩でした。

思いついたら教官室に申告をして伝えに行くのですが中々納得はしてもらえません。
まあそりゃそうですよね
今思えば、当時は答えなんて無く
ただ、気をつけ(直立不動)さすと言う精神的苦痛を与える為だけの時間でした。

当時18から20歳の訓練生はそんな事分からずにひたすら考えました。

中でもコレは良いんじゃ無いかと僕が考えたのが、

スタートラインを斜めにするでした。斜めにする事で外は勝ちやすくなる。
1️⃣00
2️⃣➕02
3️⃣➕04
4️⃣➕06
5️⃣➕08
6️⃣➕10
までフライングして良い。そうすれば外は勝ちやすくなる。
画期的なシステムだと思いましたが、簡単に却下されました。
現代のインが強いボートレースでは非常に有効かも知れません。
何を言っても結局、納得させる答えは出ませんでした。
ならと思い最後には、

フライングスタート方式やめたら、フライング無くなると思います。

って言いました。確かにそうなんですが、さすがに表情変えない教官が、ちょっと笑ってそう言うんじゃ無いんだよって言ってました。

ある意味正解だったのだと思います。

その教官が笑った顔見たのは、前編で話した先輩脱走事件で、深夜1時くらいに、非常呼集がかかった次の日でした。

実は事件があった日、先輩の1人が首根っこ掴まれて教官に正面玄関から連れて来られた時
(今までにこの様なこの世の終わりの様な死んだ魚の様な目)は見た事ありません。

点呼するのですが、先輩は6.7人足りなくて焦っているのですが、実は僕たち93期も1人足りなかったのです。

非常呼集は、どんなに寝ていてもすぐに気付く音なので1人足りなかったので誰かその日脱走していたのかと脳裏をよぎりましたが、部屋に行くと(部屋は6人部屋)当時はまだ扉を閉めて寝てました。
この事件の後は脱走防止の為に個人扉は全開で寝ないと行けなくなりました。

話しは戻りますが部屋を開けるとぐっすりと寝ていました。
寝ていたのは今も現役の和合選手ですが良くあの状況で寝れたなって思います。彼はどんな状況でも寝れる事でしょう。

その事件が起こった次の日に、普段笑顔など見せない教官が、

いやあ、和合が居なかったら、俺の出世に響いていたよ

と笑顔で冗談か本音か分からない事を言っていたのが印象的でした。

後日談ですが、
当時、同じ役職だった、92期の主任教官と93期の主任教官ではサラリーマンですから当然の様に出世に差が出たようです。

今思えば、本音の笑顔だった様な気がします。

脱走事件後の顛末ですが、先輩の期は1週間訓練禁止となり聞き取り調査を行ない、居室検査をすると大量のお菓子(売店に無い)が出てきたり
脱走してやった事や何を買ったや、食べたなどの事を事細かく書いたノートが発見されました。

実際脱走した人はクビになり、そのノートの人はどうなるのかとなりましたが、

まさかの

で押し切りました。
全ては夢で見た事を書いただけですと、どう考えても通りそう無い話しで押し切りました。

その先輩は敬意を込めて

ドリーマー〇〇

と読んでいました。今も元気に選手生活を過ごされてます。

脱走事件後の訓練生活の変化は、
訓練生には、第1小隊、第2小隊、第3小隊
と、3つの小隊に分かれていまして、
自分達が第2小隊の時、92期が第1小隊、
第1小隊の時は94期が第2小隊です。

それでは第3小隊は何かと言うと、

日本モーターボート競走会の職員さんです。

審判員、検査員の資格をとる為に1年間訓練を受けます。
当然ですが皆様大学を出られていまして成人超えています。
成人を超えてタバコを吸われる方はタバコを吸う事が許可されてましたが、禁止になりました。

タバコが吸えなくなる事は大変だった様でいまだにあの時タバコが吸えなくなった事は恨んでると言ってました。
タバコの恨みは大きかった様です。

まあタバコを吸わない僕にはあまり関係無かったのですが、って事で2000文字に達してしまったので、次回はボウ教官についてとそろそろ選手になろうと思います。
意外と色々覚えているもんだなぁと思いました。

次回、養成所編、ラスト

選手へを書いていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?