初めましてソネちゃんです
初めましてソネちゃん事、曾根孝仁です。
2023年10月16日に新宿租界、ボートレース予想師になりました。
せっかくなので、17年ほどやっていた選手時代の思い出など話して行こうと思います。
先ずは初めに自己紹介
1982年7月17日生まれ蟹座♋️のB型、愛媛県喜多郡内子町出身、地元で小中高通い、野球に打ち込んだ日々でした。
ギャンブルとの出会いは1993年12月26日の復活のトウカイテイオー🏇これを観て、ウイニングポストにハマり競馬にのめり込みました。
愛媛の田舎では競馬はテレビも放送されず、クリゲと言う競馬雑誌を買って、ラジオで聴く日々でした。同じ頃に工事現場のショベルカーの中にあったエロ漫画を初めて見た頃で飲む打つ買うのうち、打つ買うは同時期でした。
これを機に競馬の騎手になりたいと思いましたが、身体の大きさ的に難しい事が分かり、成れないのかと諦めていました。そんな中学時代を過ごし高校に入学しました。
16歳の頃、視力が低下してその頃から、コンタクトの日々でした。高校1年の5月頃野球部に入り練習中に後頭部に硬式ボール⚾️が当たり救急車で病院に運ばれました。
幸い大事には当たらなかったのですが、その日自宅に帰ると、飼い犬タロウ(ウルトラマンタロウから取りました)が、血を吐いて死んでいました。僕がボールが当たった時間だったようで今でも身代わりに亡くなってくれたと思っています。
それ以来犬は飼えて無いです。
そんな日々があり割と野球部も強く、四国大会に後一つ勝てば出れる県大会準決勝を控えて、野球部のみ修学旅行に行けなかったりして東京に強い憧れがありました。
結果、甲子園も出れず、東京に修学旅行も行けず、将来何しようと思った時にスポーツトレーナーとか良いかと思い、それなら東京に行けると思い東京の体育大学専門予備校に行くようになりました。その予備校の寮が府中にあり、漫画モンキーターンから競艇に興味を持ち多摩川に通う日々が始まりました。
土日は東京競馬場、クロフネのジャパンカップダート伝説のレコードも目の前で見ました。
平日は一切、予備校にも行かずアルバイトしていた原宿の美容室のバイト代が入れば、多摩川に通う日々でした。
夜は、伝説の出会い掲示板、スタービーチで女の子と会う日々でした。
いまだに部屋でう◯こ漏らされた事は覚えています。とにかく競艇が面白くて、バイト代の3万が1節間で50万になったのをキッカケによりハマりました。
今思えば舟券が面白いのがキッカケでした。
そんな時にこんなに面白いんだから、選手になって見たいと思い選手募集要項を調べました。
すると裸眼視力0.8以上、身長170以下体重55k以下があり、身長171、体重60の自分は視力さえなんとか出来たら受けれるのにな位の感覚でした。
そんな時に、アメリカ同時多発テロ2001年9月11日をテレビで見ていつ死ぬか分からない、やってみたい事は何でもやってみようと思いました。
同時に、競艇選手になるのに前記の裸眼視力0.8がネックでした。矯正視力も認められて無く眼科医チェックもある為、レーシックも出来ませんでした。ただ一度興味を持った事から何とか眼科医チェックを通り抜ける方法が無いかと調べて特殊な方法を探しました。
ラセックと言う方法でした。
その方法で矯正して裸眼視力が1.5になり試験に臨む事が出来ました。
事前に調べていた通り身長は少しかがめば大丈夫、体重はギリギリだった為、当日朝、代々木公園を走ってギリギリ55キロ以下でした。
視力検査も一次試験では眼科医チェック無い為難なく通りました。試験も簡単でほぼ100点取れるのではなかろうかと言うものでした。
それでも1200から1300人奇数期の方が少なくそれでも150人ほどしか二次試験に進めない中で運良く受かる事が出来ました。
基本的に運は良いです。現、柳川のボートレース養成所の二次試験に臨みました。ありきたりな体力測定、ペアボートによる操縦試験、初めて乗りましたが初めのマークでコツを掴み思った以上に上手く行きました。
何となく受かるだろうと思っていたら案の定二次試験受かり、次の日のメディカルチェックを受ける5.60人の中に入りました。
血圧チェックは毎回レース前検日でも行われますが同時から上が100あるか無いかの自分としては全く問題無かったです。
肝心の眼科医による視力チェックも無事すり抜ける事ができ、第93期選手養成員4としてヤマト養成所に入所することが決まりました。
9月入所まで、3ヶ月ほど時間があり、その時間に、小型船舶免許の取得は必須でした。
そんな日々を送りながらも多摩川に通う日々は続き、毎日研究を買っていたので顔馴染みになっていました。
そんな頃、万谷選手の6号艇から頭で15000円付いた万舟を500円取ったのは良い思い出です。そんな事を書いていたら2000文字になったのでまた続きは次にします。
ちなみに初めて1着取ったのは、
2003年12月26日
あのトウカイテイオーが復活の有馬記念
1993年12月26日
からちょうど10年後です。
ギャンブルを初めて観た時から自分がボート選手になって初アタマが同じ日とは自分はギャンブルの星に生まれていると思います。
次回は、ボートレース養成所編をお送りします。
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