子ども嫌いの私が子どもを産んだら欠片の母性も出なかった話

みなさんこんにちは。そんな馬鹿な氏です。

1年半前に子どもを産んだ。今じゃとっても可愛い約1歳半の男の子。
学生結婚(大学)でデキ婚をした私は今回の出産に並々ならぬ思いをかけていた。父の再婚相手(要は私の義理の母にあたる)からは「おままごとみたいね笑」と笑われ、それとは反対に私を育ててくれた祖父母は心配しながらも楽しみにしてくれている。
言い方はよくないが絶対に「良く」育てる。と思っていた。今考えれば「良く」育てるなんて正解がないし、なにをもって「良く育てるつもりだったんだろう、と疑問だ。


話は変わって、私は子どもが嫌いだ。同じ空間に子どもがいるだけでちょっと警戒してしまうくらいには苦手だ。いつ鼻水をつけられるのか、いつ奇声をあげるのか。子どもの行動はわからない。だから苦手だ。
それなのに児童相談所に勤めたいという夢はあって、その矛盾に葛藤をして常に悩んでいた。
しかし、まあ自分の子どもが産まれれば自然に母性も出て他の子どもも好きになるだろうと考えていた。私の中で母性は絶対の存在だった。

しかし、現実はそうはいかなかった。

激痛に耐え抜いて産んだ息子を、ほにゃほにゃ泣く息子を見て嫌悪感こそはなかったものの完全に彼と私は他人であった。母乳をあげれば少しは変わるかと思ったがそんなこともなく。母性も生まれないのにめちゃくちゃちっちゃくて私がいないと生きていけない存在。
目の前に赤ちゃんがいる、倫理的には助けなければならない。頭の中はパニックだ。

どうしよう、と思った。

愛情なくして育てるというのは難しい。今はまだいい。母乳をあげておしめを変えて寝かすだけだ。しかし例えば夜泣きが始まったり、こちらの思うようにいかなかったとすると「私が産んだ子だから…」という使命感だけで育てられるかと聞かれたら難しいだろう。

1歳半まで育て、しかも親バカと周りから言われるほど息子を溺愛している今の私から言わせれば母性は出なくてもなんとかなった。というより母性を出そうと葛藤していたら母性と呼ぶことができるかはわからないが愛情は沸いた。

次の記事ではそのことについて書いていこうと思う。

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