tokoya 床屋

「皆さんは、床屋さんの店先に、赤と青の線が延々と周っている看板があるのを

見たことがあると思います。では、あれの由来を知っている人はいませんか?」

小学校四年生のときの総合学習の時間だった。

先生が町にある看板の説明をしていたときにそういう質問をした。

「何だろうね…そう言えばそういうのがあるね…」

「なんだか、歯磨きのマークみたいだね」

「ステッキ型のキャンデーみたいにも見える」

「お菓子っぽいよね… 」

口々に言い立てるクラスメイトを横目にわたしは、

教室の窓の外を眺めてぼんやりしていた。

夕べもパパとママが喧嘩して、夜中、よく眠れていないので、

床屋のぐるぐるなんてどうでも良かった。

「灯里さん、あなたはなんだと思いますか? 」

きた。この担任うざい。わたしのこと扱いにくい子供と思ってるくせに、いいひとぶって。

わざとらしく口角を上げて質問する担任にわたしは淡々と答えた。

「青は静脈、赤は動脈を表しています。昔、床屋では、瀉血と言って、

剃刀で腕を切って悪い血を出すという医療行為をしていました。

赤と青の看板はその名残です」

「よく知ってますね! 皆さん、灯里さんに拍手」

クラスメイトは無邪気に手を叩き、

「灯里ちゃん、なんでも知ってるね…すごいね…」と絶賛してくれる。

だけど、わたしは知っている。この人たちはもうすぐわたしの本性に気がつく。

そしてわたしをきみわるがるようになる。

小さな田舎町のことだ。中学校もみな持ち上がり。しかも1クラスしかない。

わたしみたいな異分子は排除される。

案の定、中学校二年になるころには女子のイジメのターゲットになった。

理由はない。強いてあげるなら、わたしが、彼女たちの考えていることを全部見通していることだけだ。

こいつら、ハブく気だな、とわかった時点で保健室に駆け込む。

そのタイミングがあまりに見事に的中するので、イジメがイジメとして成り立たない。

その変わりにわたしはわがままな問題児ということだけが突出して、教師にも見放された。

高校に行く気はまるでなかった。

なので、手に職くらいつけなさいという母親の気持ちを汲んで上げて、

中卒からはいれる、理美容組合立の専修学校に入り、床屋の修行をすることになった。

わたしは、長く手入れした黒髪を切った。

学生どおしで、シャンプーの練習をするためだ。

絶滅危惧種の黒髪も黄色いトウモロコシ色に染めた。

先輩方のカラーリングのモデルになったからだ。

自分でいうのも何だが、わたしは大変可愛らしい顔をしている。

中学校でイジメにあった理由のひとつがこのアイドルまがいのルックスだというのは、

わたしをイジメた女の子たちの心を読んで知った。

わたしは、人の心が読めるのだ。

最初は、心で読んだそのままを相手に確認していたので、

どうしてそんなにわたしの気持ちがわかるの親友だから?

なんて脳天気に返されていたが、そのうちわたしが心を読むことをエスカレートさせていき、

相手にとって都合の悪いことまで指摘してしまったので、

次第に疎まれてしまったのだ。

だからイジメにあったのは自分の責任だとも言える。

もっと用心深く生活していれば良かったのだ。

心を読む技術を研ぎ澄ませたのには理由がある。

取引したのだ。悪魔と。

13歳の夏休みにわたしは悪魔に会った。

それまでにも、人の気持ちや心の動き具合はなんとなく把握することは出来ていた。

しかし、それは、多分、こんなかんじ。かな?とおぼろな感じがするだけで、

その本人の心の中にストレートに入り込み核心を見てしまう

という現在のリーディング技術とはまるで違った素人くさい代物だった。

悪魔は実にするりとわたしの中に入ってきた。

それは最初に好きになった初恋の人で、二歳年上の先輩だった。

熊谷俊哉クンと言った。

俊哉クンは、実に爽やかで舌鋒鋭く、

全国で行われた中学生ディベート大会で個人優勝をするくらいアタマが良かった。

わたしは密かに熊谷俊哉クンに憧れていた。そして、熊谷俊哉クンもわたしを気に入っていたはずだ。

はずというのは、恋愛感情というのはやっかいなもので、正常な判断力をまるで狂わしてしまう。

確信は持てないが、彼はわたしを好きに違いなく、常にわたしは彼の姿を密かに視線で追っていた。

そんなわたしに彼は白い歯を見せてちょっぴり微笑んでくれる。脈あり。

しかし、事態は意外な方向に進んだ。

「君、人に言えない秘密あるでしょ。僕と取引しない?僕、悪魔なんだよね」

まさか、と思って彼の心に入ると、心が真っ黒、というより、すがすがしく澄んでからりと乾き

クリスタルの占いのたまのように清らかで何にもなかった。

この、何もない、というのが実は曲者なのだが。

「いいよ。取引しよう」

わたしは申し出を快く受け入れた。

「OK、取引成立ね」

彼は指をパチンと鳴らした。

「では、いつなんどきでも取引に応じられるようにハートの準備だけしといて」

三日後。

放課後の図書室で悪魔の儀式はとり行われた。

わたしがひとり、放課後の図書室で本を読んでいる時だった。

熊谷俊哉クンがガラリと戸開けてつかつかと図書室に入ってきた。

「悪魔礼讃!」

熊谷クンは声高らかにわたしに向かって叫んだ。

わたしはビックリして本を閉じた。

まさにわたしはその名のタイトルを冠した書物を紐解いていたのだ。

「黒魔術の本でしょ。誰か、消えて欲しい人間でもいるの?」

熊谷クンは爽やかに口角を上げて微笑んだ。

わたしはゆっくり頷いた。

「キミの父親だろ」

わりとすごいことを、さらりと言えちゃうところが彼のすごいところだった。

見習いたい。

「うーん、家庭内暴力に明け暮れて、給料は全部道楽につぎ込んでしまう。ありがちなステロタイプだな。典型的なDVオトコ、自分に自信がなくて、ナイーブだから、仕事場のストレスを家庭に持ち込んじゃう。あははは。こりゃまた、すごい。キミの家の倉庫には、クルマ屋でもバイク屋でも自転車屋でもないのに、それぞれ二十台くらいあるね。もっともクルマは三台で収まってるけど。しかもそれぞれ皆さんビンテージモノのマニア垂涎の物件ときてる。違う? 」

わたしは頷いた。

「キミの父親はしがない地方公務員だ。それだけの道楽しながら暮らすのは少なからず無理がある。

その穴を埋めているのがあなたのおかあさん。仕事で疲れ切ってるから、満足に家事が出来てない。

キミの父親は、人をイジメ抜くのが趣味みたいな人だから、おかあさんはうつ状態になっている。

おかあさんのキミに対する守りが薄いから、キミは自分で力をつけて行った。

相手が何を考えているか察知出来る能力は日々のサバイバー体験で培ったモノだ。

環境の適応能力は群を抜いてるなあ、キミ」

彼は最後に賞賛のことばを贈ってくれた。ちょっとうれしい。

「よくわかるね… 」

しかし、ねこの如くツンデレ姫なわたしは、淡々と応じる。

多分、中ニ病の症状を呈してたんだろう。

「僕たちは似たモノどおしだな…」

と熊谷クンはつぶやき、小さな声で言った。

「悪魔と取引したら、やってしまっても罪にはならない。どうする? 」

(もちろん、「やる」は「殺る」の意味だ)

熊谷クンのささやき声がわたしの脳天に刺さった。

「取引、する?しない?」

すかさずわたしは言った。

「する」

熊谷クンは笑った。

そして、すべすべする手を差し出した。

そのとき

体の中が真空になった。

わたしを、わたしたらしめていた、ある大切な感情がするりと抜け落ちたのである。

その大切な感情の名前は希望と言った。

ギリシャゃ神話のパンドラが明けることを禁じられた箱を開けたとき、

世界中に不幸が広まった。その時最後に残されていたモノの名前。

希望という不確かなシロモノ。

わたしの中から希望が抜け落ちたとき、わたしは密かに父親を狙う殺戮者と化した。

母親のことなんか、どうでもいい。

自分の幸せの責任も持てずに、病気に逃げるなんて卑怯モノだ。

わたしは母親を軽蔑している。

偽善者ぶって口角を上げてわたしを誉め殺す、あの小学校の女教師と同レベルだ。

それでも生身の人間だから、生き方も考えなきゃいけない。

どうせ、やるなら、勢い良く、すっぱりやりたい。わたしが床屋になったのは、

そういう理由だ。

二十歳のときに国試に合格した。

これで店に立てる。

ここまでくるのは大変だった。

下げたくないアタマを父親に下げ、母親はしこたま殴られた。

公務員の娘が、高校へ行かないのは見苦しいからだ。

しかし別にわたしは見苦しい少女ではない。ルックスには自信があるし、

親に内緒でアイドルのオーディションの最終審査で受かってたりしたのだ。

どうせ親に言っても反対されるだけなので、報告もしなかったが。

わたしは、自分自身を客観的に認知したかっただけだ。

仕事だってちゃんと出来た。まさに天職だった。わたしは昼間は学校に通い、

夜と休みの日は、知り合いの床屋で修行を積んでいた。

知り合いの床屋では、店主が忙しいときは、私が剃刀を当てていた。

無資格で剃刀を当てるのは法律に反している行為のはずたが。しかしわたしは

技術を高めるのにやっきになり、そのルックスもあいまって、店の看板娘になり

無資格なのに、指名を受けていたりした。バーバー界のブラックジャックだ。

店を出るとき、そっと千円札を握らせる客がいた。

わたしがいないと、店に彼女はイツいるんですか?と電話がかかってきた。

帰り道はストーカーに狙われた。

まあ、軽いあそび程度の暇人が主な犯人だったが。

SNSで知り合い、自分の知らないうちに恋人にされていて、

断れば逆切れされて殺される女子がいるご時世だから、

まったく安全と言えるわけでもない。

美人は、ルックス税が高い。それは、未婚、既婚に関わらず。

ママが父親にいじめられるのは、美人過ぎるからだ。

自分の手にあまる女性を手にしたときから、オトコは狂いだすのだろう。

気に入ったフィギュアを人手に渡さないために。

つねに監視して、常に自分の支配下に置く。

病気だ。

そんなオトコは消えてよし。

わたしは思う。女子はオトコの持ち物ではない。

ちゃんと意志があり、考えを持っているのだ。

しかし、頭の幼稚なオトコには通じない。

虫けらめ!

それは他人でも、自分の親でもおんなじ感情だ。

むしろ、血がつながっていることのほうが許せなかったりする。

わたしは潔癖なのだ。

多分女子の多くはそうだろう、と思いたい。

なので。

やるときは、一気に美しく芸術的にやる。

出来るだけ、苦痛なく、すっぱりと、きっぱりと、あっけらかんと。

そしてわたしは罪にはならない。

なぜならそれは、故意ではなく、事故だから。

国試に合格した翌日、

わたしは感激のあまりに瞳を潤ませて、父親こう言う。

「パパありがとうございます。パパの厳しい指導のお陰で一人前の理容師になることが出来ました。

つきましては、恩返しにわたしのサロンに足を運んで頂きたいのです。

お父さんの予約をとっておきます。明日は月曜日でお店が休みなんですが、

オーナーが親孝行したいのですというと、快く場所を提供してぐたさいました。

午前11時にお待ちしていましのでよろしく。仕事も退職されたし、時間は余裕ですよね?」

当日、午前十一時きっかりに父親は店に来る。

彼は時間に几帳面なので、待つことも待たせられることも嫌いだ。

もし、インドとかに旅行することになったらどうするんだろう。

もっとも、父は決してインドに旅行することはない。

これまでも。これから先も。

そして、父親は椅子に座った。

わたしはエアを入れて高さを調整する。

髪をくしげずり、髪を指の間にはさみ、

シャッシャとシザーを入れる。

シャンプーする。

ドライする。

髪が整ったらシェイプだ。

石鹸を泡立て、ブラシで泡を撫でつけ、レザーを当てる。

肌をこすらないように、適切な角度でなめらかに手首を使って。

手首をしならせて。

シェイプの技術は誰かにも負けない。

「灯里さんのシェイプは天下一品。剃刀当ててるだけで気持ちが良くて逝っちゃいそうだ」

学生のころからお客さんに何度そう言われ、賞賛され続けたことか。

まさに天職、オーナからも折り紙付きだ。

父親は気持ち良さに目を瞑る。

「さあこれでお仕舞い。恩返しですから。今まで育ててくださった 」

その瞬間、いきなり肩に衝撃を受けた。

鋭い爪が薄い白衣に食い込みわたしは手元を狂わせる。

居るはずのないオーナーのアビシニアン(洋ねこ)が、ひょいっと肩に乗って来たのだった。

ちょうど首の頸動脈あたりに剃刀を当てていた。

手の角度がインした。

一気に深く入った剃刀はサクっと音を立てて、

頸動脈を見事に切断した。大量の血液が噴水のように噴出する。

おお、見事だな、わたしは見とれた。くれないの体液のどろりと生暖かい噴水ショウ。

くくく、わたしは笑った。

「他人の体に合法的に刃を当てられるのは、外科医と床屋だけだからね」

熊谷理容室の若きオーナー、熊谷俊哉クンは微笑んで、アビシニアンを抱きしめた。

「救急車は八分後にくる。あと二分したら、呼ぼうかな…」

「っていうか、即死なんじゃないの?あら、まだ生きてるの?」

笑いながら、わたしはやり遂げた感満載だった。

父親の着ていた青のTシャツが、動脈血の鮮血でみるまにどす黒くなって行く。

アビシニアンを抱いたオーナーは、鏡の裏側に消え去って行った。

「鏡が、どこでもドアだったなんて知らなかった」

わたしはぽつんと呟く。

救急車のピーポーが次第に大きくなり、やがて停止した。

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